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八幡神社(丸屋)

池の端あった村人の守り神

丸屋町八幡社

読み方 はちまん-じんじゃ(まるや)
所在地 名古屋市昭和区池端町1丁目18-3 地図
創建年 不明(1688年以前)
旧社格・等級等 無格社・十五等級
祭神 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
アクセス 地下鉄桜通線「桜山駅」から徒歩約8分
駐車場 なし
その他 例祭 10月15日
オススメ度

 池端町にある八幡神社。通称は丸屋八幡神社。丸屋なんとかという人が祭祀を執り行っていたことからそう呼ばれるようになったという。
 池端の地名は、かつて近くにあった広見池から来ている。
 広見池(広見ヶ池)は現在の向陽高校(地図)や桜山中学を含むかなり大きな溜め池だった。今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見るとその大きさが見てとれる。大正末から昭和初期にかけて埋め立てられ、そこに学校などが建てられた。
 八幡神社は、その広見池の東にあった。今昔マップに鳥居マークは描かれていないものの、樹林のマークがあるところだろう。

『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「創建は明かではないが、元禄(1688)以前より鎮座という。古来丸屋新田の氏神として尊崇。境内榧の木明神という霊木ありて霊験顕著なりと伝える。明治6年、据置公許となる」

 御器所村の東一帯には尾張藩が主導して開発した名古屋御新田と呼ばれる耕作地が点在していた。丸屋新田もそのひとつだろうか。
 創建は江戸時代前期の1688年以前という。新田の守り神として八幡神を勧請する例もあるのだけど、創建は戦国、室町までさかのぼる可能性がある。
 境内に榧(カヤ)の霊木があって榧の木明神と称して人々は信仰していたという。今もあるのかどうかちょっと分からなかった。

 この場所が江戸時代に御器所村だったのかどうかの判断がつかない。名古屋御新田があった場所は村の支配なのか尾張藩の直轄地だったのか。
『尾張志』(1844年)によると御器所村には御器所八幡宮とは別にもう一社、八幡社があった。
「八幡ノ社 此地古墳の形勢なり祭神定かならす」とあるので、これは八幡山古墳にあった八幡社だろうと思う。
 となると、ここは御器所村ではなかったということか。

 広いため池と田畑が広がっていた時代からは大きく様変わりした。今ではすっかり住宅地になって田んぼなどはまったく見られない。池の痕跡も地名にとどめるだけだ。
 そんな中でも、こうして神社が残っていると、それが歴史を語り継ぐひとつの役割を果たすことになる。
 神社というのはただ単に願い事をしにいくところではなく、歴史の証人でもあるということを再認識するのだった。

 

作成日 2017.8.29(最終更新日 2019.3.16)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

広見池はなくなり丸屋八幡神社は残った

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