丸屋八幡神社(池端)

池の端あった村人の守り神

丸屋町八幡社

読み方 まるや-はちまんしゃ(いけばた)
所在地 名古屋市昭和区池端町1-18-3 地図
創建年 不明(1688年以前)
社格等 十五等級
祭神 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
アクセス

・地下鉄桜通線「桜山駅」から徒歩約8分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 池端町にある丸屋八幡神社。
 池端の地名は、かつて近くにあった広見池から来ており、丸屋は通称で、丸屋なんとかという人が祭祀を執り行っていたことからそう呼ばれるようになったという。
 正式名称は八幡神社だ。
 広見池(広見ヶ池)は現在の向陽高校(地図)や桜山中学を含むかなり大きな溜め池だったようだ。大正末から昭和初期にかけて埋め立てられ、そこに学校などが建てられた。
 八幡神社が移されていないとしたら、その広見池の畔にあったということだろうか。もしかしたら池が埋め立てられた後に移されたのかもしれない。

『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「創建は明かではないが、元禄(1688)以前より鎮座という。古来丸屋新田の氏神として尊崇。境内榧の木明神という霊木ありて霊験顕著なりと伝える。明治6年、据置公許となる」

 御器所村の東一帯には尾張藩が主導して開発した名古屋御新田と呼ばれる耕作地が点在していた。丸屋新田もそのひとつだろう。
 神社創建は江戸時代前期の1688年以前というのだけど、その新田の守り神として八幡神を選んだというのはどうなんだろう。ひょっとすると創建は江戸時代以前の戦国か室町あたりかもしれない。
 八幡神にも農耕神としての属性があるから、現代人の感覚で戦の神と決めつけてはいけないだろうか。
 境内に榧(カヤ)の霊木があって榧の木明神と称して人々は信仰していたという。今もあるのかどうかちょっと分からなかったのだけど、名古屋の神社でカヤが御神木になっているのはあまりないように思う。

 この場所が江戸時代に御器所村だったのかどうかの判断がつかない。名古屋御新田があった場所は村の支配なのか尾張藩の直轄地だったのか。
『尾張志』によると御器所村には御器所八幡宮とは別にもう一社、八幡社があると書かれている。
「八幡ノ社 此地古墳の形勢なり祭神定かならす」とある八幡社がこの丸屋八幡神社のことを指しているのかどうか。
 古墳っぽくはないので違うようにも思うのだけど、御器所村の中に他に八幡社があるかどうか。
 この点についてはいったん保留としたい。

 広いため池と新田が広がっていた時代からは大きく様変わりした。今ではすっかり住宅地になって田んぼなどはまったく見られない。池の痕跡もわずかに地名として残るだけだ。
 そんな中でも、こうして神社が残っていると、それが歴史を語り継ぐひとつの役割を果たすことになる。
 神社というのはただ単に願い事をしにいくところというだけでなく、歴史の証人でもあるということを再認識するのだった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

広見池はなくなり丸屋八幡神社は残った

HOME 昭和区

スポンサーリンク
Scroll Up