水野社

祓戸大神を祀る貴重な神社

水野社と大松稲荷神社

読み方 みずの-しゃ
所在地 名古屋市中村区則武2丁目17-11 地図
創建年 不明(伝・700年より以前)
旧社格・等級等 指定村社・十二等級
祭神 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
アクセス 鉄道各社「名古屋駅」から徒歩約12分
地下鉄東山線「中村区役所駅」から徒歩約11分
駐車場 なし
その他 例祭 10月10日
オススメ度 **

 名古屋駅の西、江戸時代は中野高畑村と呼ばれた村にあった二社のうちの一社。
『寛文村々覚書』(1670年頃)の中野高畑村の項にはこうある。
「社弐ヶ所 内 八幡 権現 社内年貢地 名古屋若宮祢宜 主膳持分」

『尾張志』(1844年)は、「八幡ノ社 中野分の氏神也 水野ノ社 高畑分の氏神也 社人古川左膳」と書く。
 中野高畑村は、中野村と高畑村が合体してできた村だったようで、権現とも呼ばれた水野社は高畑集落の氏神だったようだ。
 中野集落の八幡社がどうなったのか、追跡ができていない。

『尾張徇行記』(1822年)にはこうある。
「八幡権現社内年貢地
 府志若宮神主書上帳ニ、八幡社内二畝十五歩御年貢地村除 中野村水ノ神社内二畝御年貢地村除
 同村白山神社跡一畝、是ハ先年桜町ヘ遷座ノ由申伝、社跡ニ榎木一本ノコレリ」
 こちらは中野村の水神となっているので、どちらかが間違えているのか、混乱が見られる。
 村にあった白山社が江戸時代に桜町に移されたとあるのだけど、これが名古屋城下の小桜町のことをいっているのであれば、現在はそれに相当するような白山社は存在していない。

『寛文村々覚書』は「名古屋若宮祢宜 主膳持分」と書き、『尾張志』には「社人古川左膳」とある。
 この神社は古くから若宮(若宮八幡社)の末社だったという話がある。
 若宮は天武天皇時代(673年-686年)創建とも伝わる古い神社で、後に名古屋城が築城されたとき三の丸に当たる場所にあったため、城外に移された。元地でいうと、若宮から見て水野社は2.5キロほど西南ということになる。
 まったく根拠もなくこんな話が出てくるとも思えず、もしかすると若宮の西の祓所として建てられたのが始まりかもしれない。だとすると創建(または創祀)は飛鳥時代までさかのぼる可能性もある。
 ただ、江戸時代において境内地は除地ではなく年貢地となっていたことを考えると、それほど古い神社ではないのかもしれない。

 ちなみに、中野高畑村は明治9年(1876年)に中島村、大秋村と合併して則武村となった。
 世界的な食器メーカーのノリタケ(web)は、創業地が則武にあったことから名付けられた(設立は明治37年)。現在のノリタケの森(web)がある場所がそうだ。

 江戸時代は権現、水野社、水神などと呼ばれたこの神社の祭神を当時の人たちは祓戸大神(はらえどのおおかみ)と認識していたかどうか。
 名古屋市内で祓戸大神を主祭神として祀っている神社はここだけで、全国的に見ても珍しい。
 
滋賀県大津市の佐久奈度神社(web)は、『延喜式』神名帳(927年)に名神大とある古社で、天智天皇の勅命で669年に中臣金(なかとみ の かね)が祓戸神を祀ったのが始まりとされる。

 祓戸大神は、『古事記』、『日本書紀』には登場せず、大祓詞などの祝詞の中で出てくる。
 瀬織津比売(せおりつひめ)、速開都比売(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比売(はやさすらひめ)とあわせて祓戸四柱大神ともいう。
 祓戸(はらえど)は祓いを行う場所のことで、そこに祀られる神の総称でもある。
 これらの神は、伊弉冉尊(イザナミ)を追いかけて黄泉の国まで行って逃げてきた伊弉諾尊(イザナギ)が禊(みそ)ぎをしたときに化成した神のこととされる。
 祝詞の中でもっとも古く、なおかつ最高のものとされるのが大祓詞(おおはらえのことば)だ。
『延喜式』にそれが載っており、成立したのは天智天皇の時代、もしくは文武天皇時代ともいわれ、原典は更にさかのぼると考えられている。長らく中臣氏が読み上げることになっていたことから、中臣氏の祖である天児屋根命(アメノコヤネ)が作ったという説もある。アマテラスの天の岩戸隠れのときに祝詞を読み上げたのがアメノコヤネだ。
 古代の日本では一年を前半と後半の二季に分けて、六月と十二月の晦日(みそか)に大祓の儀が行われていた。現在残っているのは六月に読まれていた大祓詞の方だ。
 祓いは個人を対象とするのに対して、大祓は国全体を祓うという意味とされる。
 大祓詞の中で祓戸四柱大神が登場する部分は以下の部分だ。

「高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神
(たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにますせおりつひめといふかみ)
 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す 速開都比賣と言ふ神
(おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢのしほのやほあひにます はやあきつひめといふかみ)
 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神
(もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ)
 根國底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ
(ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ)
 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
(かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを あまつかみ くにつかみ やほよろづのかみたちともに きこしめせとまをす)

 現代でもよく使う「水に流す」という言葉の起源は水で穢れを祓うということが起源となっている。
 大祓祝詞はYouTubeでも聞くことができる。おすすめはこちら。
 大祓祝詞 鹿島神宮名誉宮司様(web

『倭姫命世紀』(やまとのひめのみことせいき)の中で、祓戸大神のうちの三神は伊勢の神宮(web)に祀られていると書かれている。
 瀬織津比売は内宮の荒祭宮で、速開都比売は内宮の滝沢宮並宮で、気吹戸主は外宮の多賀宮で祀るとしている(現在は祭神が変わっている)。
 滝沢宮並宮というのがよく分からないのと、速佐須良比売が祀られていないのはどういうことだろう。速佐須良比売は罪、穢れをなくすためにさすらっているということだろうか。
『古事記』、『日本書紀』ではほぼ語られないとはいえ、性質も役割もはっきりしている神だし、祓うという行為は人々の日常にも重要なものだから、もっと祓戸神を祀る神社があってもよさそうなものだ。何故これほど少ないのかがむしろ気になる。

 水野社の境内には半ば独立したような大松稲荷神社がある。名前の通り大きな松があったようで、今は記念の石碑だけが残されている。切られる前は樹齢600年ほどの巨大な松だったそうだ。
 こんな由緒ありげな神社なのに、あまり知られてはいない。祭神が祓戸大神という貴重さからも、もっと知られていい神社だと思う。

 

作成日 2017.5.2(最終更新日 2019.4.14)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

水野社は祓戸大神を祀る名古屋で唯一の神社かもしれない

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