名古屋港築地エリアにある築地の名前のついた3つの神社のうちのひとつで、三社の中では一番最初に創建されたのがこの築地口神社だ(他の2社は築地神社と東築地神社)。 名古屋港が開港したのが明治40年(1907年)の11月なので、神社が建てられたのは翌明治41年か、もしくは次の年あたりではないかと思う。 この場所は名古屋港築港第一号地と呼ばれる場所で、後に真砂町などをあわせて名港の町名になった。
境内の由緒書きには、当時の町の総代だった吉田岩次郎が土地を所有していた名古屋電気株式会社に神社建設の話を持ち込んだところ、く土地を提供してくれて、おまけに金一封までもらって神社を建てたとある。 創建時から熱田社、津島社、秋葉社の三社セットだったようだ。 今は町の商店街の一角にこそっとはまりこんだように鎮座するこの神社も、かつては今の3倍くらいの広さがあったという。 入り口の社号標に「築地神社」とあるように、当初はここが築地神社だった。昭和13年にあらたに築地神社が創建されることになり、区別するためにこちらを築地口神社と称するようになったという経緯のようだ。 昭和37年(1962年)の都市計画によって現状のようになったと由緒書きにある。
今昔マップの明治中期(1888-1898年)を見ると今の地下鉄築地口駅があるあたりが明治時代の海岸堤防だったことが分かる。築地口神社のある場所はぎりぎり海だ。 ちょっと分からないのは、1920年(大正9年)の地図に、後の築地神社が建つ場所にすでに鳥居マークがあることだ。 築地神社は明治40年(1907年)に神社創建の準備を始め、昭和8年(1933年)に国に申請をして、昭和9年(1934年)から工事を始めて昭和13年(1938年)に完成した。 大正9年にはすでに社地だけは決まっていたということだろうか。 ひょっとすると、築地口神社は現・築地神社の場所に創建されて、後に現在地に移されたということなのか。ただ、それならその旨が由緒書きに書かれているだろうからやはり違うのか。そのあたりの事情がちょっと分からない。
今昔マップの明治中期のものと大正9年のものを見比べると、名古屋港開港から10年ちょっとで急速に発展したことが見てとれる。工場などの建物が建ち並び、鉄道網が整備され、立派な港になっている。 見渡す限り水田と海しかなかったのが、あまりの変わりように住民ならずとも驚いたことだろう。 築地口神社は明治の終わりから現在までの築地の歴史をすべて見てきたことになる。名古屋総鎮守の築地神社よりも先輩ということで、こちらも大事にしてほしいと思う。
作成日 2018.6.26(最終更新日 2019.7.18)
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