豊福稲荷大明神(九番町)

佐藤社長が祀った稲荷神だろうか

豊福稲荷大明神

読み方 とよふく-いなり-だいみょうじん(くばんちょう)
所在地 名古屋市港区九番町3丁目11 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄名港線「東海通駅」から徒歩約9分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 工場の敷地内にある稲荷社だから企業神社とも思ったのだけど、部外者が立ち入れる場所にあるので、とりあえず入って近づいてみると賽銭箱もあるし、参拝するくらいは大丈夫だろうということで、こうして紹介することにした。
 地図(マピオン)にもしっかり豊福稲荷大明神として載っているから、案外一般向けの神社なのかもしれない。もともとこの場所に稲荷社が先にあって、後から工場を建てるときに敷地内に取り込んだという可能性も考えられる。
 工場に入っていって、お仕事中すみませんがこの稲荷社はどういったいわれのものなんですかなどと訊ねる図々しさは持ち合わせていない。ジャーナリズム精神が足りないかもしれない。

 工場は一見するとそこらにある町工場なのだけど、SATOH GROUPというグループ会社の鉄工所で、佐藤鉄工所(webサイト)では堅型樹脂成形機の開発・製造などを行っているとのことだ。
 愛知県豊川市萩町や山形県酒田市に事業所がある他、グループ会社として株式会社 ニットレ、藤為工業株式会社、エルピーエム株式会社がある。
 1951年に港区九番で佐藤赫氏が佐藤鉄工所を開いたのが始まりで、現在の代表者名は佐藤安弘となっているから二代目か三代目だろうか。

 九番町という町名が示す通り、ここは尾張藩が開発した熱田新田(1646-1649年)の九番割だったところだ。
 今昔マップを見ると、明治中頃(1888-1898年)でもまだこのあたりに家はなく、田んぼだけが広がる地域だったことが分かる。
 集落があったのは南の堤防道路(今の東海通)沿いで、八番割・九番割の氏神は寶田社だった。
 1920年(大正9年)の地図でも相変わらず田んぼしかない。西に敷かれた鉄道は明治40年(1907年)に名古屋港が開港したのを受けて、名古屋駅と名古屋港の間を結んだ貨物鉄道だ。明治44年(1911年)に開通した。
 1932年(昭和7年)になると区画整理が行われて田んぼが碁盤の目のように区割りされている。この時点で家はまだそれほど建っていない。
 1937-1938年(昭和13年)になると田んぼだったところが空白地になっている。宅地化のために田んぼをつぶしてしまっただろうか。
 東の江川線に通った鉄道は市電の路面電車で、後に地下鉄名港線に変わった。
 九番町の町名は昭和15年(1940年)に熱田新田東組の一部より成立した。
 戦後の1947年の地図を見ると、北半分に工場が建ち、南半分は住宅地となっている。
 工場の跡地に九番団地が建設されると人口が増え、昭和52年には東海小学校が開校した。

 佐藤鉄工所が建ったのが昭和26年(1951年)で、このあたりが宅地化された時期と重なる。
 今昔マップ上に鳥居マークがないからといって神社がなかったとは限らないのだけど、江戸時代や明治からこの場所に稲荷社があったかといえばその可能性は低そうだ。やはり、佐藤鉄工所の初代社長が伏見稲荷(web)から勧請して敷地内に稲荷神を祀ったのが始まりと考えるのが妥当だろうか。
 豊福というのは固有名詞というよりも、豊かさと幸福を願って名づけたものだろう。
 その推測が当たっているとすれば、佐藤赫社長が鉄工所を開いてここまで大きなグループ会社にまで育ったのだから、この稲荷神の力は並々ならないものといえるかもしれない。一般の人がお参りしてお裾分けしてもらってもいいんじゃないかと思うけどどうだろう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

佐藤鉄工所の稲荷社なのだろう豊福稲荷大明神

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