神明社(中野新町)

中野外新田の神明さん

中野新町神明社

読み方 しんめい-しゃ(なかのしんちょう)
所在地 名古屋市中川区中野新町5丁目77番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)

 アクセス

・あおなみせん「中島駅」から徒歩約23分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 かつての中野外新田の神明社。
 新田というからにはあらたに開墾した土地だったに違いないのだけど、ここは干拓で作られた土地ではない。中川区のこの辺は、ちょうど国道1号線より北は元の陸地で、南が埋め立て地ということになる。
 新田といってもすべてが水田というわけではなく畑も多かったようだ。海辺ということもあって稲作には不向きな土地だったのかもしれない。

『尾張志』には「神明社 八劔社 中野外新田にあり」とある。
 神明社がこの中野新町神明社として、八劔社はどの八劔社になるのだろう。現在の中野新町に八劔社はない。とすれば、中川運河を挟んで東にある八剱町の八剱社地図)がそれに当たるだろうか(確信はない)。
『寛文村々覚書』は、「社弐ヶ所 神明 明神 社内年貢地 村中支配」としている。
『尾張徇行記』では、「神明社 明神社 界内 年貢地」となっている。
 頻繁に出てくる明神をどう捉えればいいのか。神明、八幡、白山といった有名どころというか明確な神社以外はひっくるめて明神としてしまっているようなところがある。
『尾張志』は後発の正式な地誌ということもあって、こういう曖昧さはない。
 境内が年貢地となっているということは、神社の創建は古くない可能性が高い。
『寛文村々覚書』などでよく出てくる「前々除」というのは、慶長13年(1608年)の伊奈忠次による検地(備前検)以前から除地(年貢や労役を免除された土地)だったという意味で、前々除とあれば1608年当時すでにあった神社ということになる。
 神社の境内地が前々除になるかならないかは、由緒や歴史、領主の崇敬度合いで決まったようなのだけど、その基準はよく分からない。
「村中支配」とあるから、村人たちが建てて守っていた神社ということだろう。

『愛知縣神社名鑑』によると、「昭和3年11月、中野新町夕ノ割53番地に鎮座のところ中川運河が開かれて現在地に遷る」とのことだ。
 中野新町夕ノ割という町名は残っていないため、どこを指しているのか分からない。
 中川運河は名古屋港と旧国鉄笹島貨物駅(現在のささしまライブ駅付近)を結ぶため、自然河川の中川を掘って運河にしたものだ。
 大正15年(1926年)に工事が始まって、昭和5年(1930年)に完成した。
 昭和3年に神社を移したというのは、この工事に伴うものだったのだろう。だとすれば、 夕ノ割というのは現在地より東の中川運河に近いところと考えられそうだ。
 地図を見ると中野新町は横長の長方形がきれいに並んだ区画になっている。これも中川運河によるものなのか、戦後の区画整理でこうなったのか。
 面白いのは道路によって区画が分かれているのではなく、道路に対して上下(南北)の道沿いの建物ごと町内になっている点だ。
 なので、神社の社殿は中野新町5丁目にあって、境内地は中野新町6丁目になっている。
 建物内に境界線が引かれているところがあって、屋内の半分は5丁目で半分は6丁目というところもある。

 神社のすぐ南西にある小学校は昭和橋小学校で、その他昭和橋という名称がつく建物や施設がたくさんある。それは中川運河に架かる1号線の橋が昭和橋という名前だからだ。
 平成という元号も平成30年で終わりのようで、次の元号になったとき、昭和というのはどんな響きになるのだろう。平成さえも古めかしく感じられるようになったなら、昭和というのは私たちが子供の頃に感じていた大正時代くらいになるのだろうか。子供たちにしたら大昔の歴史上の年号のように思えるのかもしれない。
 昭和が昭和時代と呼ばれる日はさほど遠くない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中野外新田の神明社

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