柴田水処理センターの施設内にある神社。神社の入り口は北側のセンター正面入り口ではなく東側にある。センターから侵入しようとすると警備員が飛んでくるかもしれない。 水処理センターにあって龍神を祀っているというから企業社なのかと思いきやそうではないらしい。 元柴田や柴田のつく町名のところは、かつて柴田屋新田と呼ばれたところだ。 1756年(宝暦6年)に納屋町の柴田屋新兵衛が開拓して柴田屋新田と称した。天白川の北と南を同時に開発し、後に北柴田新田、南柴田新田と呼ばれるようになる。 北柴田新田の氏神が鳴尾町ハノ割の稲荷社だった。 『南区神社名鑑』は、柴田新田の西の堤の内側に村人たちが祀ったのが始まりとしている。新田の西はすぐ海で、たびたび堤防が決壊したことから龍神を祀って鎮めようとしたのではないかという。現在、臨海鉄道の線路が通っているのがかつての柴田新田の堤だったところだ。 昭和3年(1928年)頃までそこにあったという。 昭和8年(1933年)に柴田下水処理場が建てられているので、そのときまでに少し場所が移されているはずだ。 処理場の拡張にともない、現在地に移されたのは平成14年(2002年)のことだ。 北柴田のハノ割稲荷社の境外社という扱いになっている。 今昔マップを年代順に見ていくと町の変遷が見てとれる。神社の鳥居マークはどの時代の地図にも描かれていない。
石灯籠には大正十一年一月と刻まれている他、献灯には昭和七年とあり、石碑は昭和十年に建立されている。 水処理センターらしく境内には水の流れる水路があり、桜やモミジなどが植えられていて季節の花を楽しむことができる。神社の境内域という雰囲気ではないけど、なかなかいい気に満ちているように感じられた。龍神さんも安住の地を見つけたと思ってるだろうか。 龍のうろこを御神体にしているという話がある。そんなものどこで手に入れたのだろう。蛇の抜け殻とかだろうか。 神の解釈や神社の在りようの多様さを示す一例がここにもある。
作成日 2018.4.21(最終更新日 2019.8.28)
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