名古屋(愛知県)で唯一の出雲大社(web)の教会を自認しており、実際にそうなのだけど、注意が必要なのは出雲大社の分社ではなく出雲大社教(いずもおおやしろきょう/web)の名古屋支所であるということだ。 では出雲大社の名をかたる偽物なのかというとそうではなく、出雲大社教は出雲大社の中にあって出雲大社の宮司家の千家氏がやっているので出雲大社にごく近い教団といえる。ちょっとややこしいので説明が必要だ。
明治6年(1873年)、当時の出雲大社大宮司であり第80代出雲国造でもあった千家尊福(せんげたかとみ)が出雲大社の布教のために創設したのが出雲大社敬神講だった(同年に出雲大社教会と改称し、3年後に出雲大社教院と改める)。 千家尊福という人は出雲大社の大宮司でありながら貴族院議員や県知事、司法大臣などを歴任したやり手の人物で、出雲大社を更に広めようという思いが強かったのだろう。 明治15年(1882年)に出された神官教導職分離令によって神職の布教活動が禁止されたため、出雲大社とは別組織の神道大社派として再出発することになった。 千家尊福は国造職を弟の千家尊紀に譲り、自らは出雲大社教会の初代管長となって分離独立した。このとき神道大社派と改称している(後に神道大社教とする)。 戦後の昭和26年(1951年)に出雲大社が国家の管理から離れ、神官教導職分離令も失効したため、神道大社教は出雲大社に復帰して合併し、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)と名乗るようになり、現在に到るというのが大まかな流れだ。 要するに出雲大社から発生した教派神道で(神道十三派のひとつ)、今は出雲大社の内部組織になっているという認識でいいと思う。出雲大社の権宮司の千家隆比古氏が第六代の管長を務め、出雲大社の職員が出雲大社教の職員も兼ねている。
あまり知られていないと思うけど、全国にたくさんの出雲大社教の分院・教会がある。 その内訳はこのようになっている。
北海道 4 東北 4 関東 5 中部 6 関西 9 中国 19 四国 6 九州 8 海外(ハワイ) 1
愛知日の出教会の公式サイトはこちら。 出雲大社愛知日の出教会 出雲大社で扱う御札や御守りなどもそれぞれの教会で入手可能となっている。
出雲大社愛知日の出教会についていえば、御嶽教の有松日出講を設立した(と思われる)梶野覚清が明治42年(1909年)に出雲大社教管長だった千家尊愛の教えを受けて入信し、有松に設立したのが愛知日の出教会だった。 梶野覚清は御嶽講の人であり、出雲大社教の人でもあったということになる。 梶野覚清については御嶽神社(有松日出講)のページにも少し書いたのだけど、情報が少なくて人となりや詳しい功績などについては調べがつかなかった。 御嶽神社の鳥居裏に刻まれた源有霊神は梶野覚清のことだろうか。
出雲大社は江戸時代まで杵築大社と称していたとか、中世は大国主(オオクニヌシ)ではなく素戔嗚尊(スサノオ)を祀っていたとか、大社といえば本来は熊野大社のことだったなど、書き始めると長くなりすぎるのでここではやめておく。 出雲大社の創建は実は奈良時代だという意見もあるだろうけど、創建が必ずしも神社の始まりではなく創祀を考えるべきで、それでは出雲大社の創祀はどこまでさかのぼれるかといえばそれはもう分からない。纒向のヤマト王権設立に出雲はどう関わったのか、『古事記』、『日本書紀』の中ではどうしてああいう物語として設定されたのか、出雲国造家とは何なのかなど、簡単に語り尽くせるものではない。 自分の中で機が熟したと感じたら神社コラムでそのあたりを少し書いてみたい。
作成日 2018.10.30(最終更新日 2019.4.5)
|