熊野社(二女子町)

スサノオを祀る熊野社

二女子町熊野社

読み方 くまの-しゃ(ににょし-ちょう)
所在地 名古屋市中川区二女子町3丁目25番地 地図
創建年 1633年(江戸時代前期)
社格等 村社・十等級
祭神

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

 アクセス

・JR東海道本線「尾頭橋駅」から徒歩約25分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 二女子町にある熊野社の祭神がスサノオ(建速須佐之男命)になっていて、あれ? と思った。
 名古屋は熊野社が少なくて比較するにはデータが不足しているのだけど、名古屋や周辺の熊野社はイザナミ(伊弉冉尊)を祀っているところが多い。
 中村区の熊野社はイザナミ。南区の熊野三社はイザナミ・事解之男命(コトサカノオ)・速玉之男命(ハヤタマノオ)。守山区の熊野社はイザナギ・イザナミ・大山津見命(オオヤマツミ)。瀬戸市の熊野神社はイザナミ。
 名古屋市内の熊野社で、スサノオを単独で祀っているのは二女子町熊野社だけではないだろうか。

 熊野神社は熊野三山とも呼ばれ、熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社の三社から成り立っている。
 本宮の祭神は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)。
 新宮(熊野速玉大社)は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)。
 那智は、熊野夫須美大神とされている。
 熊野の神、熊野権現とはどういう神かというのは難しい問題で、私には理解できない部分が多々あって、ここに書くことはできない。
 明治の神仏分離令以降、家都美御子大神はスサノオ、熊野速玉大神と熊野夫須美大神は夫婦の神ということでイザナギ、イザナミとされた。
 だから、本宮の神である家都美御子大神=スサノオを熊野社の神とすることは不自然なことではないのだけど、でもどうしてそうしたんだろうと不思議に思う。
 それは同時に、名古屋の熊野社はどうしてイザナミを祭神とするところが多いのだろうという疑問でもある。

 ここ二女子熊野社の創建は江戸時代前期の1633年という。
 地理的なことをいうと、北を東西に走る佐屋街道から南へ150メートルほど入ったところなので、ほぼ佐屋街道沿いといっていい場所にある。
 佐屋街道が本格的に整備されたのが1634年のことだった。家光の上洛にあわせて尾張藩初代藩主の義直が開いたとされる。
 ただし、佐屋街道の元になる道は古くからあったようで、家康が大坂夏の陣で駿府から大坂へ向かうときは佐屋街道を通ったという。
 江戸期を通じて、海路を行く七里の渡しの脇街道として発展していくことになる。海が苦手な人や海が荒れて船が出せないときなどにも重宝され、参勤交代で使われることもあった。
 熊野社が建てられたのはそんな江戸時代前期ということで、旅人なども大勢立ち寄ったと思われる。

『尾張志』には、「熊野社 白山社 二女子村にあり」とある。
『尾張徇行記』は、「明神社 権現 二社 界内」とし、「府志ニハ熊野祠二女子村アル由ミエタリ」と書いている。
 神仏習合している江戸時代なので、祭神は当然、スサノオではなく熊野権現だった。
 牛頭天王をスサノオと思っていた人はいただろうけど、熊野権現をスサノオやイザナギ、イザナミと思っていた人がどれくらいいたのだろう。江戸時代の人たちにとって熊野権現とはどういう神だったのか、それは今となっては知りようがない。明確に答えられる人間がいたかどうか。

 全国的にはあまり知られていないのだけど、島根県松江市に熊野大社という神社がある。
 知名度としては出雲大社に比べて圧倒的に劣るも、出雲大社と並んで出雲国一宮だった。
 この熊野大社の祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命となっている。
 すごく長い名前で、読むと「
いざなぎのひまなご くまののおおかみ くしみけぬのみこと」となる。
 これがスサノオの別名ということになっている。
 出雲大社(杵築大社)は平安時代前期までは祭神がオオクニヌシだったのに、中世に神仏習合の影響を受けてスサノオを祭神としていた。オオクニヌシに戻したのは江戸時代前期の1664年頃だったようだ。
 明治になるまで杵築大社の名称だったため、京都にある出雲大神宮(丹波国一宮)はうちの方が出雲の本家だと言い張る。
 熊野大社と出雲大社の関係は深く、現在でも
出雲国造の世継ぎの儀式「火継式」や「新嘗祭」などの重要な儀式は出雲大社宮司の出雲国造家が熊野大社に出向いて行われるという。

 話を戻すと、二女子町の熊野社は、誰がどこから勧請して建てたのか、ということだ。
 おそらく明治以降に祭神をスサノオとしたのだろうけど、イザナミとせずスサノオとしたのには確かな根拠があったのだろうか。
 熊野の本宮から勧請したからスサノオとしたというのが妥当な考えなのだろうけど、出雲の熊野大社から勧請したなどということがあり得るのだろうか。そんな話は聞いたことがないからないとは思いつつ、スサノオとした事情が気になるところだ。
 実際のところはもっと単純な話で、熊野詣でをしてきた人が自宅か村に小さな祠を作って熊野社として祀っていたものがいつしか村の守り神とされて立派な神社となり、明治の神仏分離令でなんとなく祭神をスサノオにしてしまっただけかもしれない。
 なんにしても、名古屋ではちょっと珍しいスサノオを祀る熊野社ということで、記憶しておくことにしよう。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

二女子熊野社に参拝

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