八幡社(吹上)

今更八幡社それでも八幡社

吹上八幡社

読み方 はちまん-しゃ(ふきあげ)
所在地 名古屋市千種区千種2丁目18 地図
創建年 1858年(江戸時代末)
社格等 指定村社・十一等級
祭神 應神天皇(おうじんてんのう)
アクセス

・地下鉄桜通線「吹上駅」から徒歩約15分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 住所としては千種2丁目なのだけど、古くからこのあたり一帯を吹上(ふきあげ)といっていたので吹上八幡社と呼ばれている。正式名は八幡社だ。
 ずっと昔ここは海の入り江だった。西の熱田台地の根元で、JR中央本線の線路は古代の矢田川または庄内川の流れが削ってできた谷の部分に当たるため一段低くなっている。
 吹上は海が後退して矢田川が運んだ砂によってできた土地だ。吹上の地名は、風に砂がよく吹き上げられたことから来ているといわれている(諸説あり)。
 江戸時代の村でいうと、古井村と御器所村の境くらいで、神社がある場所は古井村だっただろうと思う。

 この神社の創建は社伝によると江戸時代末の安政5年(1858年)8月のことという。
 安政5年といえば、幕末の動乱期で安政の大獄があった年だ。尾張もそれなりに騒がしかっただろうに、どうしてそんな時期に八幡社を建てようということになったのかよく分からない。
 幕末の人たちにとってすでに八幡神は戦の神ではなかっただろう。その頃の人たちの意識では八幡神は農耕の神という位置づけだったのだろうか。あるいは村の守り神と考えたのか。
 この神社はもともと吹上ではなく南の御器所村(字木市)に建てられたものだ。御器所には古い八幡社(御器所八幡宮)があったから、その関係もあっただろうか。
 明治19年に御器所村から譲り受ける形でこの地に移されている。
 神社を譲ったりもらったりという感覚がよく分からないのだけど、そのときどんな話し合いが行われたのだろうか。うちはもう八幡社がひとつありますから新しい方は譲りますよといった感じだったのか。
 あるいは、御器所村の事情でこちらに渡したということだったのかもしれない。
 創建が1858年ということで、『尾張志』などの江戸期の書にはこの神社は載っていない。

『愛知縣神社名鑑』はちょっと面白いことを書いている。
「社伝によれば”往古は此の地を古井(こび)と称し、清水滾々(こんこん)と吹き出し應神天皇御誕生に際し里人喜び、この清水を献上したと伝える。又此の地は入海の末端で弘治年間(1555-1557)應神天皇の神霊小船に御してこの小丘に漂着せらる。神吹上られ給う意により古井を吹上の里といい、里人天皇との関係ふかきを奉謝し産土神として祭る” 明治5年10月村社に列格して大正11年9月15日指定社となる」

『愛知縣神社名鑑』が、はっきりした記録ではなく、こんな伝承めいた話のみを書くのは珍しい。
 応神天皇が実在したかどうかは意見が分かれるところなのだけど、一応実在したであろうといわれている。
 応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)は大阪府羽曳野市にあり、5世紀初頭の築造と考えられている。実在したとすれば、4世紀後半に生きたと考えていいだろうか。
 息子の仁徳天皇陵とされる大山古墳に次ぐ全国で2番目に大きな前方後円墳だ。
 吹上の南には八幡山古墳(地図)があり、5世紀中頃の円墳とされている。
 他にも吹上公園のあたりに茶臼山古墳と太郎塚があったというけど、今はもう跡形もない。
 尾張氏は早くから中央の朝廷と関わりの深かった氏族で、このあたりも支配地区だったとすると、応神天皇誕生に清水を献上したという話はまんざらでたらめではないかもしれない。
 ただ、戦国時代の1555年頃に「應神天皇の神霊小船に御してこの小丘に漂着せらる」という話はいかにも唐突だ。元ネタというべき出来事があったのだろうけど、それはどういうものだったのか。
「里人天皇との関係ふかきを奉謝し産土神として祭る」というのはあり得る話だ。実際にどんな関係があったのかはともかくとして、村人たちが応神天皇に対して何らかの思いがあって応神天皇を祀る八幡社を建てたというのは充分可能性としては考えられる。それが幕末だったということに何か意味や理由はあったのだろうか。

 吹上というと私などは吹上ホール(web)をすぐに思い浮かべる。
 隣接する吹上公園は名古屋刑務所の跡地ということを知っている人はあまり多くないかもしれない。かつての名古屋監獄、その前は愛知監獄と呼ばれていた。
 戦後復興の一環として若宮大通を通すことになったとき、刑務所の一部が引っかかるため移されることになり、三好町に移転した(昭和37年)。
 若宮大通は名古屋にある二本の100m道路のうちの一本で(もう一本は久屋大通)で、名前は道路沿いにある名古屋総鎮守の若宮八幡社から来ている。
 ただし若宮大通は通称で、正式名は名古屋市道矢場町線という。名古屋市道矢場町線といわれても名古屋の人間も全然ピンと来ないのだけど。
 洲嵜神社南の洲崎橋東交差点から吹上の中町交差点まで続いている。
 吹上近くで飯田街道が斜めに横切っている。昔の駿河街道だ。
 吹上公園は鶴舞公園の分園として昭和44年(1969年)に開園した。

 神社は若宮大通から少し入ったところにあり、建物に音が遮断されるからか、境内は静かでのんきな空気をたたえている。騒がしい表通りから落ち着いた雰囲気の店に入ってひと息つくみたいな感覚だ。
 外観は明治になってこの場所に移されてからあまり変わってないんじゃないだろうか。若宮大通ができるまではもっと静かだっただろうけど。
 よく晴れた午後などに訪れるとのんびりした気持ちになれていいんじゃないかと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

吹上八幡社を訪ねる

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