近くまで行きながら場所が分からず、道を歩いていた近所の人に、横田神社ってどこですかと訊ねたところ、そんな神社あったかなぁと言われ、やや途方に暮れた。場所はこの辺なんですけどと地図を示すと、賀城園を右に曲がって2本目を左折した先かなぁと教えてくれた。 その通り進んでみると、あ、あった。左手に横田神社の社号標を見つけた。社殿は参道を入ってカクカク二度曲がった先にあって表からは見えない。なるほど、これなら近所の人でも知らなくても仕方がないと納得した。
この神社がどういう神社かを示す手がかりは境内では見つけられなかった。神明鳥居に神明造の社であっても神明社とは限らない。 中央に大きめの本社があって、左右に小さい社がある。これは熱田社、津島社、秋葉社のパターンか。それは屋根神様系統ではあるのだけど、規模としては屋根神様とは言えない。 神社本庁の登録もなく、他からも情報は得られなかった。 江戸時代の書でも見つけられず、完全に手詰まりとなった。
横田の地名は、田んぼの横または横の田から来ているという説と、横田という人の所有地だったという説がある。 『なごやの町名』は横田氏所有説を有力といっている。 かつては雁(がん)の名所だったそうだけど、それは遠い昔の話だ。今はもう名古屋市内で雁は見ることはできない。 渡り鳥の雁は冬になると日本に渡ってきて越冬して、春にまた北へ渡っていく。 現在、雁の越冬地となっているのが宮城県で、渡ってくる雁の8割は宮城県で冬を過ごすそうだ。 名古屋でも江戸時代までは雁が普通に見られたのだろうか。
横田町は昭和14年(1939年)に熱田東町の一部より成立した。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、このあたりは田んぼだったことが分かる。 それが1920年(大正9年)の地図では激変している。明治41年(1908年)に名古屋電気鉄道の熱田線(後の名古屋市電熱田線)が今の大津通に開通したことで横田のあたりも家が一気に建ち並んだ。 ひとつ考えられるとすれば、横田神社が建てられたのはこの時期だったかもしれないということだ。 その時期の創建だとすると、祭神は場所柄からして熱田大神の可能性が高い。 もうひとつの可能性としては、土地の所有者が横田氏だった場合、その横田氏が建てたというものだ。それもなくはない。 今は横田の町内神社のようになっているのではないかと思う。
作成日 2017.8.15(最終更新日 2019.9.5)
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