上飯田六所宮

分からない六所社の中でも一番分からない六所社

上飯田六所宮

読み方 かみいいだ-ろくしょ-ぐう
所在地 名古屋市北区上飯田南町3-97-2 地図
創建年 不明(1599年とも)
社格等 村社・九等級
祭神

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
月読尊(つくよみのみこと)
素戔嗚尊尊(すさのおのみこと)
蛭子尊(ひるこのみこと)

 アクセス

・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約9分。
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 名古屋北部に点在し、その正体がさっぱり分からない六所社の中でも、上飯田の六所宮は一番分からない六所社だ。
 創建は不明。古いのか新しいのか、おおよその年代さえ分からない。慶長四年(1599年)創建という話もあるけど、『愛知縣神社名鑑』では不明としているので、やはり分からないということだろう。
 六所社として創建されたのか、別の神社が六所社に変わったのか、そのあたりの判断もつかない。何しろ知るための手がかりがない。
 祭神は例によってイザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、ヒルコの6柱メンバーだ。
 そのあたりについては下飯田六所社成願寺六所神社のところで書いた。

 上飯田六所宮に関して分かっていることは以下の通り。

 慶長四年(1599年)創建という説がある。
 寛永年間(1624年-1643年)の社殿修理の覚書がある。
 明治5年(1872年)、村社に列格。
 大正2年(1913年)、近隣の神明社、天神社、厳島社、八龍社を境内社に合祀。
 大正14年(1925年)、社殿を改築。
 昭和20年(1945年)、空襲により社殿焼失。
 昭和56年(1981年)、造営成る。社名を六所社から六所宮に変更。

 明治5年の村社列格と、大正2年の合祀というのは、下飯田六所社と共通している。祭神も同じで、歩調を合わせているのを感じる。
 ただし、下飯田六所社は空襲で焼けたという話がないところを見ると、下飯田は被害に遭わなかったようだ。両社の距離はほぼ1キロ。明暗が分かれた。

 境内に赤心富士の文字が刻まれた石碑がある。
 第二次大戦の前哨戦となった支那事変(しなじへん)に出征する兵士60人余りをこのあたり村から送り出すとき、壮行会をこの神社前で行った。
 残された子供たちは出征した人たちが無事に戻ってくるようにと願いを込めて境内に石を積んだ。その積み上がった石を富士山にたとえ、赤心富士と名付け、記念の石碑を建てた。
 赤心(せきしん)とは、いつわりのない心といった意味だ。
 送り出した村の男たちが何人生き残って帰ってきたのかは分からない。神社の社殿は焼夷弾で焼け落ち、赤心富士の石碑は焼け残った。
 神社に祀られているのは、遠い過去の神話の中の神だけではない。

 上飯田六社宮の正体も、他の六所社同様、分からないというのが結論となる。特にここはさっぱり分からない。
 尾張国レベルの史料には載っていないことも、北区の郷土史を当たれば少しは情報が得られるのだろうか。
 とりあえずいったん保留ということにする。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

上飯田六所宮も素顔の見えない神社に思える

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