屋根神様を降ろしたような小さな神社。これだけ小規模の八幡社は珍しい。 名古屋の屋根神様は熱田社・津島社・秋葉社の3社セットが定番なのだけど、八幡社を名乗るからには八幡神を祀っているということだろう。 祭神は八幡社、熱田社、津島社という情報もあるのだけど定かではない。 境内はコンパクトながら社号標、鳥居、灯籠と、神社を構成する一通りの要素が揃っている。 たまたまここのお世話をしているという方と少しお話しをさせていただくことができた。過去に二度ほど場所が移っているそうだ。正月の例祭日には神職さんを呼んで祭事を行っているという。 きちんと手入れされていることは見れば分かる。近所の人たちに大切にされている神社だ。
残念ながらこれ以上の情報は得られなかった。 境内にある古い石柱に「紀元二千六百年」とあるから、昭和15年(1940年)にはあったということだろう。もしかすると、出征兵士を見送るために昭和15年前後に建てられたのかもしれない。 この年は神武天皇即位から2600年目に当たるということで、国を挙げての記念行事がたくさん行われた年だ。国民に対する戦意昂揚政策という側面もあった。
笠取町(かさとりちょう)は、昭和14年(1939年)に児玉町、新福寺町、名塚町の各一部より成立した。 町名は名塚町の字名による。 江戸時代の名塚村はここよりもっと北の庄内川南にあり、今も名塚町の町名が残る。 笠取町を斜めに横切っている水路は庄内用水で、庄内川を水源として名古屋港に注いでいる。 農業用水として元亀・天正年間(1570-1592年)に尾張の領主が引いたのが始まりとされ、江戸時代に熱田とその南で新田が作られると延長された。明治10年(1877年)に元杁樋門(もといりひもん)が造られ、現在のような水路となった。 農地が少なくなった今は工業用水などとして利用されている。
西区は元屋根神様だった社が多く残る地区なので、これもそのひとつだろうか。
作成日 2018.5.8(最終更新日 2018.12.19)
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