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向島神社


稲葉地村時代からあった神社だろうか



向島神社

読み方むこうじま-じんじゃ
所在地名古屋市中村区向島町4丁目 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神不明
アクセス地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約20分
駐車場 なし
その他 
オススメ度

 向島町の町名を冠した神社で、それ以前の神社名は分からない。
 向島町は昭和24年(1949年)に稲葉地町の一部より成立した。それ以前から字名としてあったのだけど、由来については調べがつかなかった。江戸時代以前でもここは海から遠いところだから海に浮かぶ島から来ているわけではないと思う。
 江戸時代は稲葉地村の村域だったようだけど、明治半ばまでは荒れ地だったという。今昔マップを見てもこのあたりは広く空白地になっている。



 稲葉地村は江戸時代まで多くの神社があった。集落の歴史が古いのだろう。江戸期の書ではそれぞれ以下のようになっている。



『寛文村々覚書』(1670年頃)
「社 六ヶ所 神明二社 大明神 権現 八幡 白山 岩塚村祢宜善大夫持分 前々除」
「社 二ヶ所 八幡 神明 社内年貢地」



『尾張志』(1844年)
「神明ノ社 天照大御神をまつる村の氏神也 境内の末社八幡ノ社春日ノ社
 白山ノ社
 八幡ノ社 二所
 十二所ノ社 氏神より卯の方にあり
 毘沙門ノ社
 鎮守ノ社 氏神より午の方にあり
 神明ノ社 小鍋といふ所にあり 境内の末社八幡社春日ノ社あり
 大日ノ社
 大明神ノ社 東宿といふ所にあり 此所の氏神也
 神明社
 八幡社 六石新田にあり
 天王ノ社 氏神より辰の方にあり」



『尾張徇行記』(1822年)は上の二書とほぼ同じような内容になっている。



 現在、かつての稲葉地村にあった神社の中で残っているのは稲葉地神明社城屋敷神明社明神社のみだ。他の大部分の社はふたつの神明社に移された。



 この向島神社が、『尾張志』の中にあるどれかに相当するのか。十二所社、毘沙門社、鎮守社、大日社あたりは城屋敷神明社の末社になっているから違う。可能性があるとすれば神明社だろうか。八幡社や天王社という感じはしない。
 あるいは、明治以降に創建された新しい神社ということもあるのか。
 戦後に向島町ができて、住人も増えたことだし神社を建てようということになったのかもしれない。
 小公園の西側にあって東を向いているのはもともとそうだったわけではなく、公園が作られたときにそうなったのだろう。場所も他から移されている可能性がある。



 隣には白立龍神社というのがある。白く塗られたお堂の中に小さな社が入っていて、中をのぞいたら社の前に白い陶器の蛇がいた。この社は茅葺きだからけっこう古いものではないだろうか。
 それにしても白立龍というのは初めて見た。白蛇信仰にまつわるものだろうか。



 参拝を終えると、犬の散歩をしている方にご苦労さまですと声をかけられた。
 少し立ち話をさせてもらったところ、近所に住んでいる方でこの神社のお世話をしているという。今度、由緒書きを置くようなことをおっしゃってたので、しばらくしたら再訪してみよう。この神社の歴史について何か分かるかもしれない。




作成日 2017.11.13(最終更新日 2019.5.9)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

向島町の向島神社については何も分からない

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