高針の高牟神社(地図)の道一本挟んだ南に、ちょっと変わった神社がある。幟には高帝龍王神とある。 一般開放している神社のようでもあり、民家の庭にある神社のようでもある。入っていっていいのかいけないのか判断がつかなかったのだけど、思い切って足を踏み入れてみた。 神社としてはしっかり整っていて、一般の参拝客も受け入れるような感じではあった。鳥居もあるし、祭神名と思われる高帝龍王神と染められた幟もあり、手水から水が出ていて、参道は石畳になっている。ただ、明らかに一般のお宅の庭の中には違いない。 なのだけど不思議と心地よく、誘われるように奥へと進んで社の前に辿り着いた。なんか、陽気な感じがした。心楽しいような神社というのはめったになく、なんだか分からないけどここは気に入った。こういう感覚は他ではあまり感じたことがない。
この神社創建のいきさつについては、境内にある由緒を書いた石碑が教えてくれる。 「当高帝龍王神様は、現在の御社の裏に樹齢三百余年、樹廻り五米の黒松の大木が生えていて、其の木が枯れて朽ちて穴が出来て、其の中に龍王神様を始め子孫の蛇が住みつかれ、祭年の春には幹や枝に沢山の蛇が出て居られたので、近在近郷から見物客で大賑わいになったのでございました。 そこで祭主が、皆様方の御賛同御協力を賜り、昭和拾五年四月、御奉祭しました。 其の後は不思議な事に、龍王神様始め子孫の蛇の御姿は見え無く成りました。 以後、無病息災、商売繁昌、一切の厄除け心願成就の守護神として、皆様方が御参拝に御見えに成られる様に成って現在に至っております。 祭主」
これに加えて、名東史跡の会の公式ホームページの取材記事が補足してくれる。 ここはやはり、石川さん宅の庭にある神社だった。 祭主の故・石川晃氏が昭和15年に、枯れたクロマツの巨木に棲みついていたたくさんのヘビを龍神として祀ったのが始まりで、それがこの神社ということだ。 幟や地図などには高帝龍王神とあるのだけど、奥さまの石川幸代さんによると正式名は高帝龍王龍神なんだそうだ。幟を頼んだ業者のミスで龍がひとつ抜けて高帝龍王神としてできあがってきてしまったので、そのまま高帝龍王神になってしまったのだとか。 ただ、社号標も高帝龍王神となっているので、実際のところどちらが正式なのかよく分からない。当サイトでは石川さんのいう正式名、高帝龍王龍神として紹介することにしておく。 石川さんちは先祖が瓦職人で、東勝寺に招聘(しょうへい)されて三河の高浜からこちらに移ってきたそうだ。 高浜というと三州瓦の産地で、今でも鬼瓦を作っている町として知られている。 彼らは鬼師と呼ばれる職人で、平安神宮(web)や天龍寺(web)、知恩院(web)、彦根城(web)などの鬼瓦も手がけているという。 石川さんちは昭和45年まで瓦師をやっていたそうだ。 東勝寺(地図)はもともと伝忠坊という天台宗の寺で、天正3年(1575年)に高針城主の弟・加藤勘右衛門が顕如上人に帰依して祐伝と号して屋敷内に伝忠坊を移し、東照寺と改号した。後に東勝寺と改める。 現在の本堂は天明7年(1787年)に再建されたものという。
境内には金銀のヘビの像があったり、陶器の中国人風の焼き物があったり、手作り感というかお庭感がけっこうあふれている。その感じがかえって好ましい。 境内社として小さな社があるも、詳細は不明。 前足の長い手作り狛犬がちょっとユニークだったりもする。 高帝龍王龍神は個人宅神社としてはなかなか立派で、ここまで作り込むのはかなり大変だろう。 おそらくは、誰でも入っていって参拝しても大丈夫だと思う。 すでにクロマツの巨木はなく、ヘビの姿も見かけなくなったというけど、蛇神様は龍神となってこの地に残った。
作成日 2018.1.18(最終更新日 2019.1.31)
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