神明社(打中)

たぶん打出村の神明社

打中神明社

読み方 しんめい-しゃ(うちなか)
所在地 名古屋市中川区打中1丁目90-1 地図
創建年 不明
社格等 無格社・十四等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 アクセス

・地下鉄東山線「高畑駅」から徒歩約21分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 西の打出(うちで)と東の中郷(ちゅうごう)に挟まれた打中(うちなか)にある神明社。
 江戸時代は打出は打出村、中郷は中郷村だった。打中というのは打出の打と中郷の中を組み合わせてできた町名だと思うのだけど、打中1丁目はかつての打出村なのか中郷村なのか。
 たぶん打出村だろうという前提でこのページを書いていく。

『尾張志』には、「神明ノ社 打出村にあり」とある。
『寛文村々覚書』は、「神明壱社 前々除 中郷村祢宜 孫大夫持分」となっている。
『尾張徇行記』はやや詳しく、「中郷村祠官高羽但馬守書上書ニ、神明社内三畝御除地、此社草創ハ知レス、再建慶長三戌年也」とある。
 慶長3年は1598年で、その年に再建された記録があるということは、創建はそれ以前にさかのぼるということだ。
『愛知縣神社名鑑』は、「創建は明かではない。明治5年7月、村社に列格した」とあるだけで、情報らしい情報はない。

 打出のあたりも、平安時代後期に伊勢の神宮の荘園、一楊御厨(ひとつやなぎのみくりや)があったところだ。その関係で神明社が建てられたものと思われる。中川区のこのあたり一帯は神明社がとにかく多い。
 創建が戦国時代とすると、前田家が関わっていたかもしれない。
 西の前田村には尾張前田の本拠地があり、東の荒子には利家を出した前田家があった。打出はその中間に当たる。

 打出の由来について津田正生は『尾張国地名考』の中で、「正字也 古へ海岸なりし時には此村海へ張出し地なり」と書いている。
 南側が江戸時代前期に干拓されるまではこのあたりが海岸線だったようだから、そこから名付けられたということだろう。

 入り口の社号標の中央あたりに大きくヒビが入っていて、一度折れたものをくっつけた形跡がある。昭和二年四月建立と刻まれているから、そこそこ古いものだ。
 このあたりは空襲で焼けたという話は聞かないのだけど、伊勢湾台風で折れたなんてことがあっただろうか。
 奥行きがぐっとある神社で、参道脇は建物が並んでいるものの、入り口から社殿までは距離がある。神社はこの奥行きが大事だと思う。
 覆殿の形がちょっと変わっている。細い板張りで中がよく見えない造りは別のところでも見た。昭和橋通の春日神社だっただろうか。他にもあったように思う。
 本殿は茅葺き屋根のようだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

けっこう古いかも打中の神明社

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