秋葉神社(瑞穂通)

川澄新田の守り神

瑞穂通秋葉神社

読み方 あきば-じんじゃ(みずほどおり)
所在地 名古屋市瑞穂区瑞穂通1-35 地図
創建年 不明
社格等 十四等級
祭神 迦具土命(かぐつちのみこと)
アクセス

・地下鉄桜通線「桜山駅」出口からすぐ
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 瑞穂区の北、昭和区との堺にある桜山は、江戸時代には川澄新田と呼ばれる場所だった。
 名古屋城地図)から見て、川澄新田は6キロほど南東に位置している。
 名古屋城下の発展と共に町に人が増え、城下町は南東方面へと広がっていった。それと同時に食料を確保するための新田作りも盛んに行われた。それを総称して名古屋新田という。
 昭和区から瑞穂にかけては、万治年間(1658-1661年)に尾張藩士の兼松源蔵と浪人・小塚源兵衛が開墾して田畑にした。それまでこのあたりは荒れ地だったという。
 寛永十六年(1639年)に尾張藩士の川澄平左衛門が藩主の義直から与えられたのがこの辺りの新田で、のちに川澄新田と呼ばれるようになる。
 川澄平左衛門の屋敷は、現在の名古屋市立大学病院(地図)が建っている場所にあった。
 秋葉社がいつ創建されたのかは伝わっていない。川澄新田の氏神として崇敬されていたというから、1639年以降には違いない。

 神社の前の通りは名古屋市道名古屋環状線という。瑞穂区の中心部を南北に貫くメインストリートだ。
 瑞穂区内では瑞穂通とも呼ぶのだけど、瑞穂通は町名でもある。昭和区では阿由知通、南区では新郊通、前浜通など、同じ道を区によって別々に呼んでいるのでちょっとややこしい。
 瑞穂通の町名は、旧瑞穂町の中心を通っていた道から名付けられた。
 瑞穂という言葉は、みずみずしい稲穂という意味だ。日本の美称として「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)」という呼び名が『古事記』、『日本書紀』に出てくる。
 明治に瑞穂村が誕生したエピソードとして、明治元年(1868年)に東京遷都のために明治天皇が東京へ向かう途中、随行していた岩倉具視がこの地で稲を収穫している農民の姿を見て、天皇に稲穂を献上したという話が伝わっている。

 交通量や人の流れの多い市道環状線沿いにある秋葉神社だけど、街中によくあるような小さな祠ではなく、しっかりとした神社としての体裁を保っている。秋葉社としては大きい方だ。
 通り沿いの西から入って社殿は南向きなので、直角に左に曲がって参拝することになる。曲がるというよりも鳥居をくぐって目の前の拝殿が南向きであるので、左にターンする格好だ。背中の後ろはビルの壁でスペースは狭い。 
 どことなく不思議な感覚を覚える神社だ。ざわついたロケーションによるものなのか、この土地のエネルギーなのか、秋葉の神の発している気なのか、よく分からないのだけど、ちょっとそわそわする。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

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