中町地蔵堂に隣接する秋葉神社。 有松には5つの秋葉社が現存していて、他の4つは祇園寺の中、西町長坂道、境松(松原)、東町(御嶽神社)にある。
それにしてもユニークだ。一般家庭のようなブロック塀と鉄の門があって、秋葉神社と書かれた表札まで掛かっている。地蔵堂の脇からも行けるのだけど、ここは雰囲気を出して門を開けて入りたい。お邪魔しますと。 ウケを狙ったわけではないだろうけど、けっこう笑える。これは面白いアイディアだ。
中町地蔵堂は、お天王坂(おてんのうさか)と呼ばれる道沿いにかつてあり、道路整備に伴って少し奥まった現在地に移された。 お天王坂は有松の駅西から旧東海道を交差して南へ延びる坂道で、坂の途中に天王社があったことからそう呼ばれるようになった。江戸時代にはこの坂に高札場があったと伝わっている。 天王社は明治になって津島社となったはずで、どこかへ移転したようなのだけど追跡できていない。廃社になったか別の神社に合祀されたのかもしれない。分かり次第追記したい。 中町地蔵堂の遷座と秋葉神社がどう関わっているのかも調べがつかなかった。地蔵堂と一緒に遷座したのか、秋葉神社はもとからこの場所にあったのか。
地蔵堂の外に小さな地蔵像があり、これが地蔵堂の名前の由来となった地蔵だろうか。 堂の中を見てみると、南無弘法大師と書かれた提灯があり、二体の石仏が安置されている。脇にあるのが弘法大師像で、中央は大日如来像のようだ。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、ここは旧東海道から少し南に入ったところなのだけど、その頃までにはびっしり家が建っていたことが分かる。後にこの地区も名古屋市の町並み保存地区に指定された。 有松から鳴海にかけては旧東海道の南に国道1号線が通されたため、古い街道と町並みが残ることになった。 旧東海道は有松宿を出ると進路をやや北寄りに変えつつ西の鳴海宿に到る。その先は北西に進んで笠寺を通り、笠寺から西へ行ったところが熱田の宮宿だ。 有松村の北と南の丘陵地を切り開いて宅地化したのは1960年代以降のことだ。
有松宿は江戸時代中期の1784年(天明4年)に火が出てほぼ全焼している。 それに懲りて茅葺きを瓦葺きにしたり蔵にナマコ壁を用いるなど防火対策がとられた。 おそらく秋葉社もこの頃に建てられたものがあるのではないかと想像するのだけど、創建年の詳細については不明だ。 屋根神様も含めてかつてはもっと多くの秋葉社があったのではないかと思う。 今は町ごと焼けてしまうような火事はほとんどなくなったとはいえ、住宅密集地の火事が怖いことに変わりはない。 秋葉社を大切に守っていくことは住民にとっても神様にとってもいいことだ。人も神も持ちつ持たれつだから。
作成日 2018.11.1(最終更新日 2019.4.6)
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