八幡社(大幸)

もうちょっと囲いたい

大幸八幡社

読み方 はちまん-しゃ(だいこう)
所在地 名古屋市東区大幸4丁目17 地図
創建年 1752年?(江戸時代中期)
社格等 村社・八等級
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
アクセス

・名鉄瀬戸線「矢田駅」から徒歩約10分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 良く言えば開放感のある神社だし、言い方を換えれば空気がダダ漏れな神社だ。こんなに開けっぴろげな神社もそうはない。
 周囲には木も植えられているし、生け垣で境内を囲ってもいるのだけど、なんともスカスカな感じを受ける。神社特有の濃密な空気が抜けてしまっている。本殿域は玉垣で囲っていて、ここさえ閉ざされていればいいという問題でもない。本殿裏まで住宅が建ってしまっている。
 感じとしては公園内神社に近いのだけど、むしろ空き地に社殿を建てたといったところだ。もともとこうだったのか、近年こうなったのかは分からない。昭和19年の名古屋初空襲でこのあたり一帯が焦土と化したことと無関係ではないだろうか。

 ここはかつての大幸村(だいこうむら)で大幸という町名が今も残っている。
 大幸の地名の由来については諸説あってはっきりしない。
 津田正生は『尾張國地名考』の中でこう書いている。
「地名詳ならず此村矢田川の端に近しされば正字大河か又醍醐森といふも程近きにありといへば醍醐の転声か また一考あり 隣村上野の旧名を狩津と呼しに対て山の幸多也という意をもて従来大幸(おおさち)といひしを後世戦国このかた字音に呼たるもしるべからず猶訂すべし」
 矢田川は大河と呼べるほどの川だったとも思えないし、醍醐の森から来ているというのもちょっとピンと来ない。大いなる山の幸というのもどうだろう。もともと「おおさち」といっていたというなら、大きな砂地とかの方が由来としてはそれっぽい。
 ここは矢田川の左岸(南)で、矢田川が流れる先の西の大曽根(おおぞね)は、砂地の微高地という意味の曽根の大きなものというのが地名の由来となっている。だとすれば、ここは大きな砂地といった土地だったのではないか。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書く。
「社伝に宝暦二壬申年(1752)10月10日、創建という。大幸町の産土神として崇敬あつく、明治18年、村社に列格した。昭和55年、社殿を造営し、八等級に昇級した」
 創建年を社伝は1752年としているという。
 しかし、1670年にまとめられた『寛文村々覚書』には「八幡壱社 小幡村文殊院袈裟下 当村山伏 大宝院持分 此社内 年貢地」とある。
 江戸時代を通じて大幸村の神社は八幡社のみだったようなので、ここにある八幡社は今の大幸八幡社のことではないのか。だとすれば、少なくとも1670年にはすでに神社はあったことになり、1752年創建というのは正しくないということになる。
『尾張徇行記』(1792-1822年)では、「八幡社界内年貢地 村人書出ニハ界内三畝二歩前々除、外ニ宮村田畠三畝十歩村除、松林二ヶ処一畝十歩前々除 摂社天王山ノ神外ニ界内稲荷社アリ」と書いている。
『尾張志』(1844年)は、「八幡社 大幸村にあり 末社に白山社山神社あり」とする。
『寛文村々覚書』が書いている「小幡村文殊院袈裟下 当村山伏 大宝院持分」というのはどういうことなのだろう。
 現在の守山区小幡に文殊院はなく、袈裟下というのがどういう意味なのか分からない。大宝院の山伏がこの八幡社の管理をしていたということなのか。大宝院というのも今の名古屋には見つけられない。
 創建のいきさつは結局のところ不明としか言えない。
『なごやの町名』では、前九年の役(1051-1062年)の際、陸奥守に任ぜられた源頼家とその子義家がこのあたりを通ったとき、飲み水を探すも見つからず、義家が矢を田に突き刺すときれいな水が湧き出て、八幡様のおかげ大幸、大幸と喜んだという話が「大幸町八幡社のいわれ」として伝わっていると書いている。
 社内は年貢地となっていることから、鎌倉時代に創建されたような古い神社ではないと思う。ただ、江戸時代前期あたりの創建ではないかと個人的には考える。
「古義ニ、慶長十三申年尾張国備前検地ハ、矢田大幸村ヨリ検地ヲ始ト云伝ヘリ」と『尾張徇行記』は書いている。1608年に行われた備前検地は、矢田村と大幸村から始められたとのことだ。たまたまだったのか、何か理由があったのか、そのあたりまでは書かれていない。

 名古屋初の昭和19年の空襲でこの地が目標にされたのは、昭和10年に三菱重工の工場がここに進出してきたからだった。それまで農村地帯だった大幸は工業地帯となり、それにつれて住宅も増えていった。そこに空襲で焼け野原となって戦後はやり直しとなった。
 現在の大幸は、北エリアは住宅地で、南エリアは学校が集まる地区になっている。ナゴヤドームも大幸の南エリアにある。
 八幡社の現在の社殿は昭和53年(1978年)に再建されたコンクリート造のものだ(『愛知縣神社名鑑』は昭和55年としている)。
 八等級まで昇級しているということは氏子さんが多いのか、お金持ちの神社なのか。
 せめて第二鳥居から先の拝殿、本殿エリアだけでもしっかり囲うともっといい感じになると思うのだけどどうだろう。今若木を植えれば50年後には鎮守の森になっているはずだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

たまたま見つけた大幸八幡社に参拝していく

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