洲嵜神社

いくつかの要素が複雑に絡み合った多重構造の神社

洲嵜神社

読み方 すざき-じんじゃ
所在地 名古屋市中区栄1-31-25 地図
創建年 不明
社格等 郷社・九等級
祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
布都御魂命(ふつのみたまのみこと)
道祖神(どうそじん)

 アクセス

・地下鉄鶴舞線「大須観音駅」から徒歩約12分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 パワースポットという意味では名古屋を代表する神社のひとつだと思う。全国的な知名度は低いものの、名古屋と近郊のその筋の人たちにはよく知られており、訪れる人も多い。
 しかし、この神社の本質を理解するのは一筋縄ではいかない。それは長い時間の中で多くの神々や信仰が折り重なる多重構造になっているためだ。まず大元になっている石神というのがよく分からない。

 それは非常に古い土地神を祀る信仰に始まる。
 名古屋にもシャクジ信仰という多様な民間信仰があるわけだけど、ここはもっと古い時代まで遡る。
 洲崎(洲嵜)という名前が示すように、古代このあたりは入り海に突き出す格好の岬だったと考えられている。洲はもともと中州を意味する言葉で、洲崎というからにはその先端ということだろう。
 そこに石神を祀ったのはどういう勢力だったのか?
 遡ればそれは弥生、縄文時代まで行きつくかもしれない。この土地に最初に住みついたのはどういう人々だったのか。内陸から移動してきた人たちだったのか、あるいは船で海を渡ってきた人たちだったのか。
 石神に宿っているのは道祖神であり、布都御魂命であるという。道祖神はサルタヒコ(猿田彦命)とアメノウズメ(天鈿女命)のことらしい。
 それが正しいとか正しくないとかの問題ではなく、そういう言い伝えが現代にまで伝わっていることの意味は何なのかを考えなければならない。
 何故、布都御魂(フツノミタマ)がここで出てくるのか。
 布都御魂は日本神話に登場する霊剣だ。あるいはそれに宿る神とされる。
 タケミカヅチ(建御雷神)がこれを使って地上を平定し、神武天皇が東征でピンチに陥ったときタカクラジ(高倉下)によってもたらされて戦に勝利したとされる。
 後に物部氏の祖であるウマシマジ(宇摩志麻治命)が宮中で祀っていたが、石上神宮(いそのかみじんぐう)に移されて御神体にされたということになっている。
 タケミカヅチを祀る鹿島神宮にも布都御魂剣とされるものが伝わっており、国宝となっている。
 泥江縣神社のページにも書いたように、熱田台地の南の熱田を本拠とした尾張氏の勢力は、金山、大須あたりまでで痕跡が途絶え、それより北には尾張氏の影が見えない。
 尾張氏が草薙剣であるのと対比するように、この地で布都御魂が祀られているというのは象徴的だ。それは尾張物部氏だったのか、別の勢力だったのか。

 社伝では、神社の創建は平安時代前期の貞観年間(859-876年)で、石神の導きで出雲国からスサノオ(素戔嗚尊)がこの地にやってきて鎮まったとする。
『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「往昔出雲国稲田宮(安来市横田)の神を遷し祭て洲崎の鎮めたり」
 この神社のもうひとつの難しさがここにある。
 江戸時代は洲嵜天王や牛頭天王社と呼ばれていたから、津島神社あたりから牛頭天王を勧請して祀ったのだろうと思いがちだけど、実際はそんなに単純な話ではない。
「出雲国稲田宮の神」を勧請したというのであれば、それは牛頭天王ではない。スサノオですらないかもしれない。

 高天原で父であるイザナギの言うことを聞かず暴れ回って姉のアマテラスは天の岩戸に隠れてしまい、スサノオは高天原を追放されてしまう。
 地上に降り立ったスサノオは出雲国に辿り着く。
 そこで困っているアシナヅチ(足名椎命)・テナヅチ(手名椎命)の夫婦に出会う。
 話を聞くと、ふたりはオオヤマツミ(大山祇神)の子で、8人いた娘のうち7人が川の上流に棲むヤマタノオロチ(八岐大蛇)に食べられてしまい、残った末娘のイナダヒメ(稲田姫/クシナダヒメ)も狙われているという。
 それなら自分がヤマタノオロチを退治してくると言い、その代わりイナダヒメを嫁にもらうという約束を取り付けた。
 スサノオは言葉通りヤマタノオロチをやっつけて戦利品として天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を手に入れた。これが後にヤマトタケルの手に渡り、草薙剣と名を変え熱田神社で祀られることになる。
 里に戻ってきたスサノオはイナダヒメと夫婦になり宮殿を建てて暮らした。
 そしてイナダヒメの父であるアシナヅチを宮の首長に任じて、稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という名を与えたという。
 洲嵜神社が勧請した稲田宮の神というのは、スサノオであり、イナダヒメであり、 アシナヅチ・テナヅチでもあるということだ。あえてそこから勧請したというのであれば、そこには必然的な意味があったと見なければならない。少なくとも、そういう話が伝わっているということは無視できない。

 名古屋城築城前の洲嵜神社は、現在の栄一丁目と堀川の西の名駅南二丁目の東部分をあわせた範囲が境内だったという。
 堀川の掘削で境内が削られ、城下が発展するに従って境内に武家屋敷などが建てられて次第に縮小していった。
 それでも『尾張名所図会』の絵図を見ると江戸時代はまだまだ広かったことが分かる。
「川向いの八画堂門前の清泉は、もと当社の御手洗にて」とあるから、堀川の西の熱田台地の縁まで境内だったということだ。
 現在は東西60メートル、南北80メートルほどだから、往事に比べるとずいぶん狭くなった。

 祭神について、江戸時代の認識ではどうだったかというと、『尾張名所図会』にはこうある。
「本社 素戔嗚尊・稲田姫・八王子を合せ祭る」
『尾張志』ではこうだ。
「廣井天王崎にあり素戔嗚尊に稲田姫八王子を配享す鎮座の年月知かたし」
 牛頭天王社と呼びながら祭神はスサノオ、イナダヒメ、八王子としている。
 これは尾張藩としての公式見解とも言えるし、神社側の主張でもあったのだろう。庶民の感覚としては牛頭天王を祀る天王社だったかもしれない。
 牛頭天王=素戔嗚尊という認識が各時代の各階級でどういうものだったのかは、よく分からない。庶民レベルで天王社の祭神をスサノオと思っていたかどうか。
 ただ、この洲嵜神社の場合、他の牛頭天王社とは事情が違っているので、スサノオを祀るという意識は強かったかもしれない。
 そうなると八王子というものをどう捉えればいいかという話になる。
 明治の神仏分離令以降、八王子を祀っているとしていたところはアマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれた五男三女神とあらためたところが多い。それは以下の顔ぶれだ。
 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
 天之菩卑能命(アメノホヒ)
 天津日子根命(アマツヒコネ)
 活津日子根命(イクツヒコネ)
 熊野久須毘命(クマノクスビ)
 多紀理毘売命(タキリビメ)
 市寸島比売命(イチキシマヒメ)
 多岐都比売命(タキツヒメ)

 牛頭天王関係で八王子というと、后である頗梨采女(はりさいじょ)との間に生まれた8人の王子を指す。
 太歳神(木曜星・総光天王)
 大将軍(金曜星・魔王天王)
 太陰神(土曜星・倶魔羅天王)
 歳刑神(水曜星・得達神天王)
 歳破神(土曜星・良侍天王)
 歳殺神(火曜星・侍神相天王)
 黄幡神(羅光星・宅神相天王)
 豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)

 あるいは祇園社(八坂神社)から勧請した八王子だとすれば祭神は以下の通りだ。
 八柱御子神(やはしらのみこがみ)
 八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
 五十猛神(いたけるのかみ)
 大屋比売神(おおやひめのかみ)
 抓津比売神(つまつひめのかみ)
 大年神(おおとしのかみ)
 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 大屋毘古神(おおやびこのかみ)
 須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

 境内摂社について『尾張名所図会』はこう書いている。
「泰産社(たいさんのやしろ) 伊弉諾・伊弉冉・豊玉姫を配祀す。
 船玉社(ふなだまのやしろ) 摂津国住吉郡船玉神社(ふなだまじんじゃ)と同神にて、祭神異説多しといえども、(中略)船舶精霊(せんぱくせいれい)を船玉(ふなだま)と祭りたるものなるべし」
 江戸時代末には尾張藩主徳川慶勝によって楠正成・和気清麿・物部守屋を祀る三霊神社も創建された。
 いかにもな顔ぶれだけど、現在、この境内社はもうない。
 この他、白龍社という境内社がある。
 創建当時から欅(ケヤキ)の祠に龍寿大神が祀られていたとのことで、それに加えて大イチョウの木に白竜大神が祀られている。
 話が少し戻るのだけど、稲田宮のアシナヅチとテナヅチという名前の由来について蛇に関わりがあるのではないかという説がある。
 古語で蛇(伝説上のものも含む)のことをみずち(みつち)といったことから、アシナヅチとテナヅチは足無し蛇、手無し蛇から来ているのではないかというものだ。
 八岐大蛇(おろ「ち」)も大蛇というイメージがあり、出雲大社(杵築大社)の根幹に龍蛇神信仰というものがある(杵築大社は一時期祭神をスサノオとしていた)。
 みつちの「み」は水に通じるとされ、龍といえば水との関わりは深い。
 洲崎の地は水辺で古くから龍信仰があったとなれば、これらを結びつけて考えたくもなる。それはこじつけが過ぎるだろうか。
 境内には何故か、十二支の置物がある。いつから置かれるようになったのかは分からないけど、珍しいことだ。十二支でこの地を守っているという意味だろうか。その中には当然、巳(ヘビ)もいる。

 石神、道祖神、布都御魂、サルタヒコ、アメノウズメ。
 スサノオ、イナダヒメ、八王子、牛頭天王。
 蛇、龍、水。
 民間信仰、尾張、出雲……。
 これらの要素が複雑に絡み合ってこの神社は成り立っている。それを解きほぐして一本の線にするなんて無理な話だ。糸を辿っても最初の結び目にたどり着けるかどうか。
 しかし、熱田台地における洲嵜神社の意味や役割は決して小さなものではなく、その本質を理解する人間が現れるのをこの神社は待っているのかもしれない。
 私ができるのはどうやらここまでのようなので、あとは感じ取れる人に実際に訪れてもらって、この神社が発している声なき声に耳を傾けて聞き取って欲しいと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

HOME 中区

スポンサーリンク
Scroll Up