神明社(村合町)

大森垣外村の神社がよく分からない

村合町神明社

読み方 しんめい-しゃ(むらあいちょう)
所在地 名古屋市守山区村合町193 地図
創建年 1744年?(江戸時代中期)
旧社格・等級等 村社・十四等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
菅原道真(すがわらのみちざね)
厳島姫命(いつくしまひめのみこと)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
 アクセス ゆとりーとライン「川宮」から徒歩約5分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 江戸時代の大森垣外村(おおもりがいとむら)の神明社だと思うのだけど確信が持てない。
 今昔マップの1888-1898年(明治21-31年)の地図を見ると、大森垣外村の集落の北のはずれに鳥居のマークがある。同じ場所に現在の村合町の神明社がある。大森垣外村から道がつながった行き止まりにあるから、この神社がやはり大森垣外村の神社ということでいいのではないかと思う。

 江戸期の書の大森垣外村の項を見るとそれぞれ以下のようになっている。

『寛文村々覚書』(1670年頃)
「大森海道村
 社四ヶ所 内 神明熊野白山 八龍 天神 山神
 社内弐反弐畝 前々除 円福寺・桂星寺持分」

『尾張徇行記』(1822年)
「社四ヶ所 神明熊野白山 八龍天神山神 社内二反二歩前々除 利海寺書上ニ、八龍宮界内一反五畝前々除 桂星寺書上ニ、白山神明熊野社界内三畝六歩前々除 天神社内長五間横四間 山神社内長十五間横四間共ニ前々除」

『尾張志』(1844年)
「神明社 白山社 熊野社 以上三社同所 天神ノ社 八龍社 五社ともに大森垣外村にあり」

『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「創建は延享元年(1744)子十一月と伝える。明治5年5月村社に列し、大正2年1月28日、許可を受け、同2年2月16日、字宮東536番地八龍社、又同2年9月1日、字欠口70番、天神社、字川田866番、杵島社、字山屋敷174番山神社の3社を合祀した。昭和61年7月28日祭具庫を建造する」

 どうやら神明と白山と熊野が同じ場所にあったらしいということが分かる。これが今の村合町の神明社のことなのかどうか。
『寛文村々覚書』は1655-1658年頃に行われた調査を元に1670年頃まとめられたものだ。『愛知縣神社名鑑』がいう1744年創建ということとあきらかに矛盾する。
『寛文村々覚書』にある神明熊野白山と今の村合町神明社が別とすると、どういうことか分からなくなる。考えられるとすれば、『愛知縣神社名鑑』がいう1744年創建が間違っている可能性だ。
『尾張志』が完成した1844年の時点で大森垣外村にあった神社は、神明社、白山社、熊野社、天神ノ社、八龍社だった。
『愛知縣神社名鑑』は、大正2年(1913年)に八龍社、天神社、杵島社、山神社を本社に合祀したと書いている。
 白山社は西城の白山神社として、熊野社が分からない。隣村の大永寺村に熊野社と本宮社があって、大永寺熊野社は現存している。村合町や近辺に熊野社はない。
 杵島社と山神社はいつ建てられたものなのか。『尾張志』には出ていない神社だ。

 なんともすっきりしない感じだ。もやもや感が残る。
 今昔マップの江戸期編はやはり無理なのか。明治中頃でも江戸の村の名残は残っているものの、明治の神仏分離令を経たあとでは神社や寺の様相は大きく変わってしまっている。なんとか江戸期編を作ってもらいたい。それさえあれば、かなりの部分の不明な点が明らかになるだろう。
 大森垣外村に関してはもう少し調べを進める必要がある。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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