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秋葉社・天王社(香流2)

香流集落の守り神だったか

山の手秋葉天王社

読み方 あきば-しゃ・てんのう-しゃ(かなれ)
所在地 名古屋市名東区香流2丁目 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄名城線「茶屋ヶ坂駅」から徒歩約56分
市バス/名鉄バス「猪子石原バス停留所」から徒歩約10分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 かつての猪子石村の集落から少し北に離れたところにある小さな社の集合体。
 社が元からここにあったとすれば、香流集落の中に位置している。
 いつから香流(かなれ)という地名ができたのかは分からないのだけど、土地が片方低くなっているという意味の片流れが転じて香流になったという説がある。
 ただ、神社のすぐ北を流れる香流川は金連川、金流川とも表記されていたことから金にまつわる地名とも考えられる。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、江戸時代から続くこのあたりの状況が見てとれる。
 神社があるのは南の猪子石村と香流川を挟んで北にある猪子石原村とを結ぶ道沿いということになる。川に架かる中島橋はかなり古くからあったのではないかと思う。
 川の南に小さな集落があり、これが香流集落の始まりだっただろう。
 この秋葉社と天王社は香流集落の守り神だったとも考えられるし、猪子石村集落の出入り口にあって猪子石村を守っていたかもしれない。
 神社のすぐ北に香流消防団があるので、秋葉社はその関係だろうか。
 現在、中島公園がある場所にはかつて役場があった。
 大正9年(1920年)の地図を見ると、役場はなくなって代わりに学校が建っている。これは大正8年(1919年)に開校した猪高村立猪高尋常小学校北部分教場だと思う。今の香流小学校の前身だ。
 このあたりが区画整理されるのは1960年代に入ってからで、住宅地になったのは1970年以降のことだ。
 1980年代までは香流川に蛍が飛んでいたという。

 境内地入り口に鳥居や社号標はない。
 向かって左手にお堂があり、右に社を納めた覆い殿がある。その間には石碑も建っている。
 堂の中には石仏が二体あるのだけど正体は分からない。観音ではないとすると役行者か何かだろうか。もう一体は弘法大師かもしれない。
 覆い殿の中にある社は向かって左が天王社で、右が秋葉社だと思う。津島神社の神札が何故か外に出されている。
 社の隣には観音像と思われる石仏も置いてある。
 狛犬代わりなのか陶器の置物もある。
 覆い殿の横にはわりと古そうな石灯篭があって、秋葉山と彫られている。
 石碑は刻まれた文字が薄くなっていてはっきり読み取れない。峯という文字が見えるような気もするけど、御嶽教の霊神碑かもしれない。
 向かって左は「菊田先生之碑」、「權大僧都大越家」とあるようだ。

 元からこの場所に何かの社か堂があって、他は別の場所にあったものをある時期ここに移してまとめたと推測するけどどうだろう。それは明治以降かもしれないし、戦後かもしれない。
 江戸時代まで猪子石村にあった神社の中で残っているのは神明社(猪子石)猪子石神社、大石神社だけとなっている。八劔社や山神社は合祀されてしまった。それを考えると秋葉社と天王社はよく残った方だ。
 社前の榊は完全に茶色くなっているのを見ると、日常的にお世話をしている人はいないようだ。せっかくこうして残ったものだから、地域の人たちで大事にしていってほしいと思う。

 

作成日 2019.5.8

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

香流集落の神と仏の寄せ集めだろうか秋葉社天王社

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