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大池白龍大神・氏神社

白龍社か氏神社か

大池白龍大神

読み方 おおいけ-はくりゅう-おおかみ(うじがみ-しゃ)
所在地 名古屋市中区千代田3丁目4 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄鶴舞線「鶴舞駅」から徒歩約7分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 大須の東、鶴舞公園の西は中区千代田という街で、江戸時代は前津小林村だった。精進川(今の新堀川)の東ということで、名古屋城(web)下からは外れた村という認識だったと思う。
 大須通から少し南に入ったところにこの神社はある。中署の斜め向かいあたりだ。
 入り口から奥に向かって「白竜大神」の幟が立ち並んでいる。地図にも白龍大神とあるから、てっきり白竜大神社だと思ったらどうやら本社は別で、一番奥にある氏神社がそれのようだ。
 前津小林村の氏神を祀る社だったのか、個人が氏神を祀ったものなのか。情報が得られず、詳細は不明だ。

 江戸時代まで神社はわりと抽象的というか、具体的な祭神がはっきりしないまま権現とか明神とか氏神などと呼んで祀っていたところがけっこうあった。特に小さな祠などはそうだ。戦国時代に荒れて分からなくなってしまったのもあったようだ。
 明治になって政府からちゃんと祭神を報告するようにと命じられても分からないものだから、それなら神明社にしておけとされたところも多かったという。
 それにしても、氏神社というのは初めて見た。祭神は予測しようがない。

 前津小林村について津田正生は『尾張国地名考』の中で「地名正字なり二村をすべて一串に呼也」と書いている。
 前津村と小林村がひとつになってそう呼ばれていたということだ。
 津というのは船着き場とか湊を表す言葉で、ここは熱田台地の東側に当たり、瑞穂台地との間の低地で、古代は深く海が入り込んでいた。
 前津の地名はその頃の名残で、前に湊があるところから名付けられたのだろう。今でも上前津、下前津などの地名が残っている。

『寛文村々覚書』(1670年頃)の前津小林村の神社はこうなってる。
「社弐ヶ所 春日大明神 おんない明神 社内三反八畝弐拾壱歩 御国検除 熱田祢宜 大原織大夫持分」
 春日大明神は上前津駅の北にある春日神社地図)のことだ。おんない明神は三輪神社のことだと思うのだけど、ちょっとはっきりしない。
『尾張徇行記』(1822年)は覚書に「おんなひ明神」とあると書いているので、「おんなひ」だったようだ。
 いずれにしても、氏神社のことは書かれていない。

 白龍大神の幟に「大池」とある。かつてここは大池町で、町名の由来は文字通りこのあたりにあった大池から来ている。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、池の位置とおおよその大きさが分かる。今の中署と北の飛薬師清水寺の一帯が池だった。
 麹ヶ池(こうじがいけ)とも呼ばれたその池は、江戸時代に灌漑用水の溜め池として掘られたもので、面積は一町五反以上あったという。
 凧揚げに適したところだったようで、夕陽の名所でもあったようだ。
『尾張名所独案内』浅井広国(明治25年)では、「手鞠池(てまりいけ)と云う 周廻五町余堤上に櫻樹の古木ありて春日は市人遊歩の地なり」と書かれている。
 名古屋城下から少し離れた郊外の池で、冬は凧揚げ、春は桜見物、秋は夕焼けを楽しむような近場の行楽地だった。
 白龍大神は、この池に棲む龍神を祀ったものだったのではないだろうか。もしくは、古木に棲む白蛇を祀ったものか。
 白龍大神というと、長野県戸隠の九頭龍信仰を思い起こさせる。
 白龍大神は闇龗神(くらおかみのかみ)のことという話もあり、そうなると水の神、雨の神ということで農耕にまつわる神として祀ったとも考えられる。
 麹ヶ池は明治44年に埋め立てられて今は姿を消してしまった。
 大池町の町名も千代田や上前津などと変わり、現在は公園やバス停などに名残をとどめるのみとなっている。

 氏神社についても白龍大神についても結局何も分からなかったのだけど、個人的には今はなき大池の白龍神を祀る神社と考えることにしたい。

 

作成日 2017.8.7(最終更新日 2019.3.11)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

氏神社といわれても戸惑うので大池白龍大神にしておく

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