大磯神社

今はもう大磯という地名が似合う町ではない

大磯神社

読み方 おおいそ-じんじゃ
所在地 名古屋市南区岩戸町3-24 地図
創建年 1938年(昭和13年)
旧社格・等級等 不明
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
アクセス 名鉄名古屋本線「呼続駅」から徒歩約12分
駐車場 なし
その他 例祭 10月10日(体育の日?)
オススメ度

 大磯神社の社名は、このあたりの大磯という地名から来ている。少し南に大磯通という地区があり、小学校の名前も大磯小学校となっている。
 周辺には汐田町や荒浜町、塩谷町、千竃通といった地名が点在し、かつてこのあたりが海岸だったことを今に伝えている。

 神社創建は昭和13年(1938年)という。
 前年の昭和12年に始まった日中戦争に兵士を送り出すために建てられたと『南区の神社を巡る』は書いている。
 南区はそういうきっかけで建てられた神社がいくつかある。

 神社がある呼続(よびつぎ)は笠寺台地の北西部に当たり、古代は周囲を年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる遠浅の海に囲まれ、潮が満ちると海に浮かんだ島のように見えたことから松炬島(まつこじま)といわれていた。
 高台から遠く海を見渡せるということで景勝地とされ、『万葉集』の中でも年魚市潟は歌われている。
 愛知の地名の由来は「あゆちがた」から来ているという説もある(諸説あり)。
 台地上には縄文時代以降の遺跡が多数見つかっており、台地の縁に沿って大型の古墳が築かれた。尾張氏関係の拠点のひとつだったのだろう。
 中世以降、製塩が盛んとなり、ここで作れれた塩は塩付街道を通って美濃や信濃に運ばれた。
 大磯の地名は製塩のための磯堤があったことから来ているとされる。このあたりの製塩は、沖に磯堤を築いて塩浜を作る入浜式と呼ばれる方式だった。
 神社がある岩戸町の由来は、平安時代あたりまですぐ西が海岸線で、波の浸食によってできた洞穴があったためとされる。
 江戸時代になると尾張藩の領地となり、北西部が干拓によって陸地化したことで製塩業は衰退し、明治以降は海苔や魚の養殖業が取って代わった。
 しかし、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風によって海産業は大打撃を受け、それ以降、町は工業化していくことになる。
 現在はすっかり住宅地となっており、海辺の景勝地だった頃の面影は残っていない。

 大磯神社の130メートルほど東にある白毫寺(びゃくごうじ)に「年魚市潟勝景」の石碑や万葉歌碑などがある。
『尾張徇行記』(1822年)はこんなことを書いている。
「山崎村西町ニハ其西ノ方ニ白毫寺トイヘル古寺アリ、門内ニ物見松トテ高ク聳ヘタル老松一株アリ、是モ古街道ノ跡目当トナレリ、即其アタリヲ呼続ノ浦又ハ浜トモイヘリ」
 白毫寺の東を斜めに通る道がかつての東海道だ。鎌倉街道の一部でもあった。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、街道沿いに家が建ち並んでいた様子が見てとれる。

 境内の説明板に「御祭神 火之迦具土大神 天照皇大神 須佐之男命」とある。その後の説明書きらしきものは字が薄れて読めない。
 本体は神明社で、秋葉と天王が合祀されているということか。最初からそうだったのか、途中でそうなったかは分からない。
 木造の鳥居は神明造系統のもので、何の木を使っているのかちょっと分からない。見慣れない木材だ。昭和53年6月とある。
 本殿はおそらく神明造なのだろうけど覆殿のようなもので囲われていてよく見えない。
 手水舎の水がちゃんと出ていたことに好感が持てた。
 今現在は地域で守っている神社という印象を受けた。

 

作成日 2017.12.5(最終更新日 2019.8.12)

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