「浄心」交差点の一本東の裏通りを南へ行ってすぐの角地にある小さな龍神社。
この一角だけ緑が生い茂り、街中のオアシスのようになっている。鮮やかな新緑と赤い鳥居のコントラストが美しい。
樫ノ木龍神という言葉そのままであれば、樫の木に棲んでいた龍神(おそらくは蛇)を祀ったのが始まりではないかと思う。
浄心交差点の縦筋の道は、かつて江川という川の流路だったところだ。その川沿いに樫の木があって、木の根元あたりで祠に祀っていたのではないかと想像する。そういう情報があるわけではないので外れているかもしれないけど。
ここは名古屋城(web)の北西で、江戸時代は武家屋敷が集まる場所だった。
城の西を流れる江川は、庄内川の稲武村から始まり、そのまま南下して堀川の西を流れて熱田前新田で中川に合流していた。
舟が行き来するほどの幅も深さもなかったため、農地の灌漑用水として利用されていた。当時はフナやナマズ、ウナギなども獲れたという。
ウナギといえば、神社のはす向かいの南に、「ひつまぶし・しら河」(地図 / web)がある。
名古屋でひつまぶしの名店といえば「あつた蓬莱軒」(地図 / web)がよく知られている。明治6年(1873年)創業の老舗で文句なしに美味しいのだけど、「しら河」も味では負けていない。知名度では「蓬莱件」に遠く及ばないものの、地元では「しら河」派がけっこう多い。何しろ値段が1,000円以上安くて同じくらい美味しいのだから、こちらにしない手はない。ウナギの値段が上がった昨今、ひつまぶし2,450円は良心的だ。ご飯が多すぎるという人にはミニひつまぶし(1,730円)がオススメだ。
大正時代になると江川沿いに市電江川線が開通して街が発展すると江川が邪魔者扱いされることになる。
昭和に入って江川は暗きょ化され、戦後その上に高速道路も作られた。かつての江川の風景はもう残っていない。
カシは木偏に堅の字が示す通り非常に堅い木だ。古くから建築用の材木や道具の用材として使われてきた。鉄道の枕木などとしても使われている。
カシは特定の木のことではなく、ブナ科の常緑高木の総称をいう。アジア全域やヨーロッパ南部などに自生し、やや温暖な気候を好むことから、西日本に多い。
常緑樹で燃えにくく生長も早いことから防風林、防火林として植えられることがある。ただ、江戸時代やそれ以前に樫を植樹したとも思えず、このあたりにあったとすれば自生していたものだろう。
境内に樫の木があったかどうかは分からなかった。秋にドングリが落ちていればそれで分かる。4月の今はツツジが咲き、アジサイもあった。その他にも季節の花が咲くのではないだろうか。
社号標には昭和二十七年と刻まれている。これが創建年という可能性もあるけど、このあたりは空襲で焼けただろうから、戦後の再建がこの年だったということもかもしれない。
狭い境内に社務所のような古い木造の建物がある。
涸れた池の前にある小さな社は弁天社だろうか。その他、もう一社、社がある。
不思議と生命力に満ちた空間だ。境内の木々や花が生き生きとしていることからもそれがうかがえる。
かつての江川は消えたとはいえ、まだ地下を流れている。龍神さんには狭いながらも住み処があって、ここにいながらにして町を守っているのだろう。
非常にすがすがしい神社だと思った。
(追記)2018.12.19
この神社は2018年6月をもって廃社となった。いい神社だっただけに残念だ。
近くの山神社(上宿)に合祀するという話を聞いたけど、まだ確認していない。
作成日 2018.4.29(最終更新日 2018.12.19)
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