名城公園の東、愛知学院大学名城公園キャンパスの裏手にある小さな神社。
愛知学院大学が名城公園キャンパスを建てたのは2014年で、その前は名城住宅があった。その頃、この神社がどうなっていたのかは知らないのだけど、規模としては昔も今も変わってないんじゃないだろうか。
すぐ隣が名城保育園で、敷地内には城北南集会場がある。訪れたときには、なにやら大がかりな工事をしていた。
天王神社という名前からして牛頭天王を祀る天王社だったのだろうと思うけど、情報としては何もなく、確かなことは分からない。
名城保育園とは関係がなさそうだ。
本社は覆殿に覆われていてよく見えない。全体的に暗い。
鳥居はとても立派だ。
神社がある場所は名古屋城(web)の北東で、名古屋城の北は御深井(おふけ)と呼ばれる湿地帯だった。尾張藩初代藩主の義直はそこにあった池を中心として御深井庭と呼ばれる庭を造った。
名古屋城が建っているのは熱田台地の北の縁(へり)に当たる場所で、その北と西は馬も入れないような湿地帯だったという。
江戸時代が始まって家康による名古屋城が築かれる以前から今川氏の那古野城があった。
天王神社の北にある深島神社などは名古屋城築城前からここにあったようだ。
天王神社がいつ建てられたかということだけど、これは案外古くて江戸時代かもしれない。
名城住宅が建てられたのは戦後で、その頃は住宅の守り神のようになっていのだろうけど、昭和に入ってから創建されたとはちょっと考えにくい。神仏習合時代の天王の名称を付けるとは思えないからだ。
名古屋城築城以前にあった神社としては那古野神社の前身である天王社があった。平安時代中期の911年に醍醐天皇の勅命で創建されたと伝わる古社で、名古屋城築城のときに移そうとして移せず、そのまま城内に取り込まれることになった神社だ。
名城の天王神社がそれほど古い神社とは思わないけれど、場所と名前を考えると明治以降ということはないのではないか。
情報がほとんどない中、想像で書いたので間違っていることもありそうだ。継続調査として、何か分かれば書き足したい。
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