斎宮社(切戸町)

民間信仰から浮き沈みを経て今

切戸斎宮社

読み方 さいぐう-しゃ(きれと-ちょう)
所在地 名古屋市熱田区切戸町2-26 地図
創建年 不明
社格等 無格社・十四等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス

・地下鉄名港線「日比野駅」から徒歩約18分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 なかなか興味深い神社であり、よく分からない神社だ。
 斎宮というと伊勢の神宮に奉仕した斎王(天皇の皇女)が住む御所のことをいうけど、ここはその関係ではない。祭神がアマテラス(天照皇大神)になったのも明治以降のことだろう。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明らかではないが、社伝に”鎌倉末期に牛立町5丁目の地に三狐社として鎮座せしより、明治18年、今の社地に遷座まで社運の消長甚しく衰微荒廃の時代もあったが、鎮座当初は漁村の守護神として神威は霊験高く、殊に境内にあった神鐘の響は清幽深遠にして漁獲の吉凶を支配する神韻あり、世人の崇敬大なり”という」

 牛立町5丁目は東海道新幹線とJR貨物名古屋港線の線路を挟んですぐ西側だ。熱田区ではなく中川区ではあるけれど、名古屋市が区政を実施したのが明治41年(1908年)で(中川区誕生は昭和12年(1937年))、江戸時代はこのあたり一帯が牛立村だった。
 もともと三狐社だったとのことだ。

 江戸期の書にそれぞれこう書かれている。

『寛文村々覚書』(1670年頃成立)
「八幡 此社内ニ天王・観音堂有
 斎宮司
 前々除 当村祢宜 市左衛門持分」

『尾張徇行記』(1792-1822年)
「八幡社 斎宮司社 界内
 府志曰 八幡祠、三狐神祠倶在牛立村」

『尾張志』(1844年成立)
「八幡社 牛立村にあり
 天王社 八幡社の境内にあり この二社、この村の氏神なり
 斎宮司社 同村にあり 氏神よりも南の方にあり 猿田彦神 天鈿女命(アメノウズメ)を祀るという」

 斎宮司、または三狐神と呼ばれていて、八幡社・天王社とともに牛立村にあったことが分かる。
 八幡社・天王社は中川区牛立町2丁目の牛立八幡社地図)のことで、平安後期の1163年頃、保元の乱(1156年)に敗れた源為朝の一族がこの地に逃れてきて鎮守の社を建てたのが始まりと伝わる古い神社だ。
 そこへ牛頭天王がやってきて鎮まり、天王社が建てられた。いつしか八幡社よりも天王社の方が優位になったことが見てとれる。
 斎宮社の社伝によると、創建は鎌倉末という。
『愛知縣神社名鑑』が「鎮座当初は漁村の守護神として神威は霊験高く、殊に境内にあった神鐘の響は清幽深遠にして漁獲の吉凶を支配する神韻あり、世人の崇敬大なりという」と書いているように、江戸時代に干拓されるまでここは海に面した海岸だった。
 農村というより漁村だっただろうから、漁民たちが祀った神社だった可能性は高そうだ。
 八幡社・天王社との関係はよく分からないのだけど、無関係だったとは思えない。

 祭神について『尾張志』では「猿田彦神 天鈿女命を祀るという」としている。
 これは伊勢の関係というよりも、道祖神に代表される民間信仰から発していると考えた方がよさそうだ。
 村の入り口付近に置かれた村の守り神で、必ずしも具体的な神を祀っていたものではなかったかもしれない。
 社宮司、石神、西宮などを総称してミシャクジ信仰と呼んだりもするけど、ひとまとめにして理解しようとするのはやや危うい。
 明治以降もサルタヒコとアメノウズメでよかったのにアマテラスに変えているということは、それだけ曖昧だったということだろう。
 神明鳥居、神明造の本殿は女神千木、鰹木五本となっているけど、これは昭和になって建てられたものだろうから、参考にはならない。

 明治18年に旧地から現在地へ200メートルほど移動させたのはどうしてだろう。
 JR貨物名古屋港線ができるのはもっと後の明治44年のことだ。
 その頃牛立に何か大きな変化でもあったのだろうか。
 この時期の遷座の理由が思いつかない。 

 5月5日の牛立八幡社の祭りでは、山車が牛立八幡社と切戸斎宮社の間を往復する。
 そこからしても、やはり牛立八幡社と切戸斎宮社は関係があったと考えてよさそうだ。
 江戸時代は八幡社の隣の四門寺と一体化していたというから、その関係性はやや複雑なものとなっていたかもしれない。

 民間信仰から発して、その後様々な信仰と習合して現在まで生き残った神社は少なくない。切戸町の斎宮社もそういう神社のひとつだ。
 本来の姿はすでに分からなくなってしまったものの、訪れてみて、歴史に思いをはせてみれば、何かしら感じるものもある。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

牛立からお引っ越し切戸町の斎宮社

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