桜天神社

都会のビルに囲まれた小さな天神さん

桜天神社

読み方 さくら-てんじんしゃ
所在地 名古屋市中区錦2-4-6 地図
創建年 1537年(戦国時代)
社格等  村社・十二等級
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
アクセス

・地下鉄桜通線「丸の内駅」5番出口から徒歩約2分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 名古屋のイチョウ並木の名所で、桜もないのに桜通と名付けられたのは、桜天神社が由来になっている。
 名古屋駅からもほど近い、中区錦2丁目。オフィス街のど真ん中の通り沿い、高いビルに囲まれて身を縮めるようにしてその神社はある。境内の坪単価は600万円超え。
 かつて加藤清正が名古屋城築城のときに本陣を置き、桜を見ながら花見をしたり茶会を開いたりといった様子を、現在の姿から想像するのは難しい。

 戦国時代、信長の父・信秀が北野天満宮から菅原道真の木像を勧請して那古野城内に設けた祠に祀ったのが始まりとされている。
 今川氏親(義元の父)が築城した那古野城を信秀が奪取したのが1532年。2年後の1534年に信長が那古野城で生まれたとされているから、その頃のことだ。
 戦国時代まっただ中に、戦の神ではなく学問の神である菅原道真を祀ったというところに信秀という人間の一端を見ることができる。信秀は菅原道真を尊敬していたという。
 道真というと学問の人というイメージしかないけど、実際は弓の名手で文武両道の人だった。
 信秀もまた知略に優れ、和歌をたしなんだりと、戦一辺倒の人ではなかった。織田家臣団や実の母親までが信長が織田家を相続することに反対しながら信秀だけは頑としてそれを曲げなかった。信長の人間を見抜く先見の明があったのだろう。そんな信秀だったからこそ、菅原道真に共感を覚えたに違いない。

 道真は幼い頃から勉強ができて神童と呼ばれた。
 学問の道を究めるべく努力を重ね、33歳という若さで学者の最高峰である文章博士(もんじょうはかせ)にまで上り詰める。今でいうと、東京大学の総長みたいなものだ。
 その能力を買われ、宇多天皇に重用され、政治家に転身。順調に出世を重ね、醍醐天皇のとき、政界No.2の右大臣の地位につく。
 このときの左大臣(No.1)が、摂政関白太政大臣の藤原基経の息子・時平で、道真のことをおとしめるべく画策し、道真は無実の罪を着せられ太宰府へ左遷されてしまう。
 903年。そのまま京に戻ることなく死去することになる。享年59。
 その後、京では道真左遷の陰謀に荷担した人々が謎の死や病気になり、雷も落ちて火事で燃えるなど、次々と異変が起こり、道真のたたりに違いないということなった。そして道真は怨霊化する。
 その霊を慰め鎮めるために建てられたのが九州太宰府の太宰府天満宮(919年)であり、京都の北野天満宮(947年)だった。
 戦国時代の武将にとって菅原道真とはどういう存在だったのだろう。道真の死からすでに500年以上の年月が経っている。その頃にはすでに怨霊ではなく学問の神というのが共通認識となっていたのだろうか。
 道真が一般的に学問の神とされるようになるのは江戸時代に入ってからのことだ。寺子屋に天神社を祀ったり、道真を描いた絵を貼ったりしていたことからそうなっていったとされる。
 天神、天満宮という名称は、天神信仰と道真がむすびついたということと、道真を神格化した神を天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)と称するところから来ている。もともと天満天神社といっていたのを天神社や天満宮に略して名称とした。

 信秀が那古野城に祀っていたときに何と呼ばれていたのかは分からない。菅原社とかだったのか、名前はなかったのか。
 現在地に移されたのが1537年のことで、桜天神社の実質的な創建年はこのときとされている。
 当時ここには萬松寺があり、道真の社は寺の守り神とされた。
 1610年。名古屋城築城に際して萬松寺が大須に移されることになる。ただ、道真の社はここに残された。広い境内の片隅に小さな社があったのだろう。
 境内には立派な桜の古木があり、春の花の頃には人々が見物に訪れたという。そこにある道真の社はいつしか桜天神と呼ばれるようになり、それが神社の名前となった。
 名物の桜は1660年の万治の大火で焼けてしまった。
 明治の神仏分離令に伴い、一時、菅原神社と名前を変え、戦後の1948年(昭和23年)に天神社と改まった。
 神社の前の通りはかつて細い道でしかなく、菅原通と呼ばれていたという。桜通と名前を変えるのは昭和になってからのことで、国鉄名古屋駅の移転改築に伴って道幅を大きく広げたときに公募で決まったのだとか。イチョウ並みが作られたのもそのときのことだ。

 山田天満宮上野天満宮とともに名古屋三天神のひとつとされる。受験生やその親は3つの天満宮をめぐって御朱印をもらって合格祈願をする。
 境内には尾張徳川2代藩主・光友の命で造られた時分鐘のレプリカがある。江戸時代、城下に時を知らせるために昼と夜の12時に鐘を鳴らした。
 今も残る天神井戸は、加藤清正が名古屋城築城のときに掘ったもので、当時、名古屋三名水のひとつといわれたという。

 東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな(春な忘れそ) 菅原道真

 名前は桜天神社でも、この神社にはやはり梅の頃に訪れたい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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