御嶽教東福寿教会

御嶽講について

御嶽教東福寿教会

読み方 おんたけきょう-ひがしふくじゅ-きょうかい
所在地 名古屋市中川区柳川町17 地図
創建年 不明
社格等 不明
祭神 不明
 アクセス

・JR/名鉄/地下鉄「金山駅」から徒歩約17分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 一般のお宅の庭が御嶽ワールド全開になっている。これはなかなかのものだ。御嶽教に免疫がないと奥まで踏み込めないかもしれない。少なくとも御朱印集めの趣味で神社をめぐっている人が行くところではないかもしれない。私でもギリギリなくらいだ。

 御嶽教を研究している菅原壽清によると、御嶽教の結社である御嶽講社の定義は以下のようなものだという。
 木曾御嶽山に祀られている御嶽大神をはじめ、神仏や霊神などを神とする観念を持っていること。
 神道、両部神道、仏教など、いずれかの祝詞や教典などを有していること。
 祈祷をしたり、御嶽山に登拝するといった儀礼を行っていること。
 御嶽の神々を祀る祭壇や神殿などの施設、神像、霊像、霊神碑などを有すこと。
 教義や儀礼を共有する信者・行者の組織であること。
 これらが全体として機能していることが木曽御嶽教の御嶽講社の条件だとしている。

 御嶽教は、奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮/web)を置く教派神道で、神道十三派のひとつだ。
 神道十三派は明治時代に教派として公認された神道系教団で、大本教、金光教などがそれに当たる(天理教も当初入っていたのだけど今は抜けている)。
 創始者は下山応助で、信者数は現在6万人ほどとされている。
 古くからあった御嶽信仰が修験者のためだったのに対し、一般の信者のために御嶽山を開くことに尽力したのが覚明行者と普寛行者で、そのあたりの経緯については守山区の御嶽神社(松坂町)のところで書いた。
 覚明行者は尾張国春日井郡牛山村の生まれで、覚明行者亡きあと、牛山に誕生講が作られた。
 大きく分けると、御嶽講は覚明講と普寛講に分かれ、各地にある御嶽講はどちらかの流れを汲むものとなっている。
 土地柄、名古屋やその周辺では覚明講の系列が多い。この東福寿教会も福寿講のひとつと思われる。

 名古屋最古の講社は、熱田に本拠を置く宮丸講とされる。
 江戸時代後期の1811年頃、儀覚(武藤清六)が設立した。
 覚明系の講社で、中部地方の有力講である福寿講、心願講、日出講はいずれも宮丸講の系譜となっている。
 福寿講は宮丸講講祖の儀覚の弟子、寿覚が設立した。拠点は愛知県岩倉市にある。
 寿覚には37人の直弟子がいたとされ、各地で多くの福寿講が設立された。美濃国の覚明系御嶽講である日出講もその流れを汲んでいる。
 心願講も覚明系御嶽講の有力講で、1830年に古伯(倉知茂兵衛)が設立した。その後、明寛が継承し、古伯の実子である明心とともに発展させた。
 拠点は当初、長久手市の岩作御嶽山(やざこおんたけさん)にあり、のちに岩崎御嶽山に移された。
 岩作御嶽神社は1855年の創建で、岩崎御嶽神社は1860年に創建された。どちらもものすごくディープな御嶽教ワールドが展開されている。
 その他、海部郡甚目寺町の明栄講や清須市の出生講などがある。

 東福寿教会の北にあるお宅がこの神社を管理していると思うのだけど、南にある建物も御嶽教のものだ。屋根に御嶽教のマークが入っている。信者さんの集まりはこちらでやっているだろうか。
 庭にある石像群はどれが何を表しているのかよく分からない。不動明王は御嶽教では大切な存在なので当然あるのだけど、阿修羅像があったり、狛犬がいたり、地蔵堂があったりと、いろいろ混じっている。中国人風の石像群などは意味が不明だ。
 霊覚霊神と彫られた大きな石碑があり、鳥居はない。
 何しろワンダーランドになっている。

 神社サイト作りを始めるまで、御嶽教はちょっと恐ろしくて近づきがたいものを感じていた。けど、慣れ親しんでみると悪くない。なんでもありでごっちゃになっているところが誤解を招く要因になっているかもしれないけど、それは懐の深さを示すものもともいえる。来るものを拒まない大らかさのようなものがある。
 個人的には岩崎御嶽山のインパクトが強すぎたせいもある。あそこは完全に御嶽教上級者向けだ。
 御嶽教に対する理解が少しずつ進んできたおかげで、もうどの御嶽神社に行っても驚かなくなった。
 そのうち御嶽山の登拝とかしてしまうようになるかもしれない。いや、登山はともかく、長野県王滝村の御嶽神社里社は行ってみたいと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

御嶽教の世界観を表す御嶽教東福寿教会

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