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竜宮社(大高)


浦嶋子伝説とは無関係だろうけど



大高竜宮社

読み方りゅうぐう-しゃ(おおだか)
所在地名古屋市緑区大高町字中川 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神底筒男神(そこつつのをのみこと)
中筒男命(なかつつのをのみこと)
上筒男命(うはつつのをのみこと)
アクセスJR東海道本線「大高駅」から徒歩約22分
駐車場 なし
その他提灯祭り 旧暦6月15日
オススメ度

 竜宮社とは面白いネーミングだ。浦島太郎や竜宮城に関係がありそうに思える。
 しかし、実際のところ、そのへんには無関係で正式名は住吉社らしい。
 詳しい創建のいきさつは分からないのだけど、住吉大社(web)から勧請したのは確かなようで、祭神は住吉大社と同じく筒男三神としている。ただし、住吉大社で祀られる神功皇后はここでは祀られていない。



 境内の説明書きによると、かつては扇川に大高川が注ぎ込む南側にあり、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で被害を受け、昭和40年(1965年)の河川改修工事に伴い現在地に移されたという。
 ネットの緑区のページでは、扇川と大高川の合流地点の通称「三つ又」と呼ばれる場所の西南の河川敷きに鎮座していたとしている。
 300メートルほど東のこのあたりが旧地ということになるだろうか。
 元々の場所にはかつて造船所があったのだけど、それが建てられたのはおそらく伊勢湾台風の後なので、造船所が祀ったということではないだろう。
 最初から竜宮社と称していたのか、途中で竜宮社と呼ばれるようになったのかは調べがつかなかった。



 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、当時このあたりはまだ田んぼが広がっていたことが分かる。大高村は丘陵地で農地にできる土地が少なかったから田んぼは貴重だったはずだ。
 現在の中川の地名は、寛永元年(1624年)に開発された中川新田にちなんでいる。
 この西隣が1680年頃に開発された込高新田だ。
 現在このあたりで扇川と天白川が合流しているのだけど、かつてはずっと西まで二本の川は平行して流れており、伊勢湾に注ぎ込む直前で合流していた。
 大正、昭和、戦中までは大きな変化はない。
 1950-1960年にかけて土地が区割りされて道路はできたものの、引き続き田んぼ地帯だった。
 1970年頃にようやく大高川と扇川の合流点の南西に少し家が建った。西側に名四国道(23号線)が通ったことで状況に変化が起きたと考えられる。
 1976-1980年の地図で、合流点に工場が建っている。これが造船所だろうか。周りにも家が建ち始めた。
 名四国道の上に名古屋高速の高架ができ、南側を東西に走る59号線が通った。これ以降、現在に到るまで町並みはあまり変わっていない。



 ところで浦島太郎の話はただのおとぎ話でまったくの作り事と思っていないだろうか。
 実は浦島太郎にはモデルとなる人物がいて、物語も実際に起こった出来事を下敷きにしている可能性がある。
 名を浦嶋子といい、『日本書紀』や『丹後國風土記』(逸文)にも登場し、『万葉集』にも歌われるくらいなので実在したのは間違いなさそうだ。
 それらの話を総合すると、浦嶋子は京都丹後半島を支配する豪族で、漁師でもあり、釣り上げた亀が乙女になったので結婚し、亀に連れられて海に入って蓬莱山(ほうらいさん)の仙人を訪ねたというのだ。
 西暦に直すと478年というから5世紀後半の古墳時代の人ということになる。
 中国の『魏志倭人伝』の中にもシマコが伊都国の副官や奴国の主官名として出てくるので、個人名ではなく官職名か何かかもしれない。
 浦嶋子は日下部首らの祖で、月読命(ツクヨミ)の子孫ともされる。
 478年に竜宮(蓬莱山)に行った浦嶋子は825年に帰ってきたという。
 その話を聞いた淳和天皇は驚き、丹後に浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが浦嶋神社とされている。
 蓬莱山というと、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬があるという蓬莱山を求めて日本に渡ってきた徐福(じょふく)を思い出す。近くには新井崎神社があり、ここでは徐福を祭神として祀っている。
 浦嶋子はひょっとすると拉致されたのか? そうではないとしても誘われてついていったというニュアンスを含んでいる。それは女性だ。浦島太郎の物語の中では、もう帰りたいという浦島太郎を乙姫は引き留めている。
 蓬莱山は日本国内だったのか国外だったのか。徐福が秦の始皇帝の時代の人だとすればそれは紀元前で、日本では弥生時代だ。浦嶋子が旅立ったとされる478年当時、中国は宋だった。倭王武が宋の順帝に上表文を奏上して倭王に任命されたのがちょうど478年のことだ。武は第21代雄略天皇のこととされる。
 帰ってきたのが825年だとすれば、もう平安時代に入っている。『日本書紀』の完成が720年だから、そこから100年以上後だ。それはもう知り合いなどひとりもいないくらい歳月が流れている。
 おとぎ話で浦島太郎は玉手箱を開けるとたちまち年を取っておじいさんになってしまう。これは教訓話だから事実ではないだろうけど、玉手箱の中に何か入っていたとすれば、それは日本における記録のたぐいかもしれない。それは記憶と言い直してもいい。
 結局、不老不死はどこにもないのだということだろうか。
 ちなみに、浦嶋子の物語は京都丹後半島の他に大阪摂津の住吉が舞台となっているものもある。『万葉集』の中で高橋虫麻呂が歌った「詠水江浦嶋子一首」がそうで、網野神社では住吉大神も祀られていることから、住吉大社も無関係ではなさそうだ。
 緑区の住吉社が竜宮社と称していることも、まったくいわれがないことではない。同じような物語がこの地にあったとしても不思議ではない。



 この竜宮社をいつ誰が最初に祀ったのかは分からない。誰が名づけたのかも。
 ひょっとすると浦嶋子伝説とどこかかすっているかもしれないと想像してみるのも楽しい。




作成日 2018.10.22(最終更新日 2019.4.4)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

住吉社だけど竜宮社を名乗る

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