藪田大清水どんぐりひろばの入り口近くにある社。 調べてはみたものの、何の神を祀っているのかも、誰がいつ祀ったのが始まりかも分からなかった。 唯一の手がかりは、賽銭箱の横に「昭和四十八年」という手書きのプレートが貼り付けられていることだ。
戦後復興の区画整理の中であちこちに小さな土地が余り、それを何かに活用しようとして名古屋市が思いついたのが小公園だった。それが1967年(昭和42年)のことだから、今から50年ほど前のことになる。 名古屋市が場所と遊具などを提供し、各町内会で管理するというシステムで、名古屋市内に500ヶ所ほどにどんぐりひろばが作られた。活用されているところもあればそうじゃないところもある。 中区では現状、46ヶ所あり、藪田大清水どんぐりひろばはその中のひとつということになる。 プレートにある昭和48年というのは、おそらく藪田大清水どんぐりひろばができた年で、そのときこの社もここに移したということが考えられる。それ以前にどこで祀られていたかは分からない。古くからこの町内に住んでいる人なら知っているだろうか。
藪田大清水というのはそのままの町名ではなく、藪田町(やぶたちょう)と大清水町(おおしみずちょう)をあわせたものだ。現在の住所は千代田4丁目になっている。 藪田町は明治44年(1911年)に東古渡町字藪田の一部より成立して、昭和44年(1969年)に中区千代田4丁目に編入されて廃止された。 大清水町は昭和9年(1934年)に中区御器所の一部より成立し、昭和44年(1969年)に千代田4丁目になった。 それぞれの地名の由来はよく分からないようだ。藪田は藪に関係ありそうだし、大清水は湧き水が出ていた土地から来ているかもしれない。 千代田は明治まではこのあたりは田んぼや松の多いところで、千代に栄えるようにという願いを込めて名づけられたという。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、名古屋城下からも遠く、北にある前津小林村からも離れた田んぼ地帯で、社がある場所は田んぼすらない空白地になっている。樹林のマークが描かれているから雑木林でも広がっていただろうか。 その頃あった道としては、社の東側、今の七本松通が南北に通っていた。 1920年(大正9年)の地図に描かれる国鉄中央本線は、明治29年(1896年)に工事が始まり、名古屋-多治見間が明治33年(1900年)に開通した(東京-名古屋間の全通は明治44年)。 鉄道の開通によって七本松から藪田あたりにかけて急速に宅地化が進んだようだ。 1932年(昭和7年)の地図ではわずかに残っていた田んぼも消えて隙間がないほど家が建ち並んでいる。 しかし、このあたりも空襲で焼けて戦後の1947年の地図では空白地が目立つ。 完全に復興したのは1960年代に入ってからだろうか。 空襲で大きな被害を受けたということを考えると、昭和48年という年が創建だったか再建だった可能性がある。 ここが熱田区なら秋葉社か熱田・秋葉・津島の三社セットだろうけど、中区の名古屋城下の外れなので違うような気もする。赤い屋根が天王社を思わせるけど、なんともいえない。 どんぐりひろばの奥ではなく入り口近くに置いたことは何か意図があっただろうか。通りから認識しやすいし町内の人に参拝してもらいたいということかもしれない。
作成日 2018.10.13(最終更新日 2019.3.14)
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