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神明社(八田)

八田村の唯一の神社

八田神明社

読み方 しんめい-しゃ(はった)
所在地 名古屋市中村区並木2丁目266 地図
創建年 不明(1657年か)
旧社格・等級等 村社・ 十四等級
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
アクセス 近鉄名古屋線「八田駅」から徒歩約3分
駐車場 なし
例祭 例祭 10月9日
オススメ度

 八田村(はったむら)にあった神明社で、今も八田の地名とともに残った。
 八田村は東の万町村(まんちょうむら)、北東の烏森村(かすもりむら)、北西の岩塚村に囲まれた小さな村だった。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると位置関係が分かる。
 八田村の神社は江戸時代からこの神明社一社だったようだ。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではない。古来隣郷の万町と同一村にて後八田の地開けて万町と同じ神明社を祀り、八田の新宮と称した。『尾張志』に神明社、八田村にありと、明治5年7月、村社に列格する」

『尾張國地名考』の中で津田正生は八田村について、「八は仮借にて正字治田(はりた)村の言便なるべし」と書いている。

 東にあった万町村が西に向かって開墾していって支村のようになり、後に八田村として独立したという流れだっただろうか。八田村神明社は万町村(中川区万町)の神明社地図)の分社のような格好だったようだ。

『寛文村々覚書』(1670年)にはこうある。
「神明壱社 社内年貢地 中郷村祢宜 孫大夫持分」

『尾張徇行記』(1822年)はもう少しくわしい。
「神明社界内年貢地 府志ニモノレリ」
「中郷村祠官高羽氏書上帳ニ、神明社内三畝年貢地、此社明暦三年酉年草創也」

『張州府志』(1752年)にも載っていて、やはり境内は年貢地で、中郷村祠官高羽氏の記録には明暦三年(1657年)に創建したとあるとのことだ。
 草創(そうそう)は創建と同じ意味で、初めて寺社を建てることをいうから、この記録を信じるなら創建は1657年ということになる。
 万町の神明社は前々除になっているから、あちらの創建は江戸時代以前にさかのぼる。

 今昔マップを見ると、神社は八田村の集落から外れた北西の田んぼの中にあったようだ。現在地より少し北だから、駅前の道路ができたときに少し位置を動かしているかもしれない。
 少し南を通るJR関西本線はもともと関西鉄道で、明治28年(1895年)に草津 – 名古屋間が開通した。
 八田のあたりが住宅地になったのは遅く、1960年代以降のことだ。1980年代まではまだ田んぼも残っていたんじゃないかと思う。
 今は駅前の住宅地として発展した。

 拝殿、本殿ともに木造でけっこう古そうだ。本殿は茅葺(かやぶき)だったか檜皮葺(ひわだぶき)だったかはっきり確認できなかったのだけど、戦前かもっと前に建てられたものかもしれない。

 

作成日 2017.11.19(最終更新日 2019.5.12)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

八田の神明社は昔から変わらず当たり前のようにある

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