古傳馬神社

ちょっと変わった名前に惹かれる

古傳馬神社入り口

読み方 こでんま-じんじゃ
所在地 名古屋市南区豊1-35-17 地図
創建年 1686年頃(江戸時代前期)
社格等  十二等級
祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

アクセス

・名鉄常滑線「豊田本町駅」から徒歩約6分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 変わった名前の神社に惹かれる。古傳馬神社というのはちょっと変わった名前だ。
 伝馬というと、東京日本橋の小伝馬町(こでんまちょう)が思い浮かぶという人が多いかもしれない。
 しかし、古い伝馬とはどういうこだろうと疑問に思った。
 この神社を紹介する前に、まずは伝馬(でんま/でんば)について簡単に解説しておく方がいいかもしれない。
 伝馬というのは、字からもなんとなく想像できるように、馬を伝えるものだ。ただ、分かるようで分からない制度でもある。
 初めて伝馬制を導入したのは、大化の改新の翌年、646年に出された改新の詔(かいしんのみことのり)によるとされている(それ以前から馬による伝達などはあった)。
 馬の置き場所を決めておいて、馬を乗り継ぎ、乗り換えながら人や荷物や伝令などを運ぶというものだ。
 平安時代になっていったん廃れたのち、戦国時代に再び採用され、江戸幕府を開いた徳川家康によって本格的に整備された。
 街道の宿場ごとに馬を置いて、幕府の役人などが公用に使った。馬も長い距離を走り通しでは弱ってしまうし、ときには死んでしまう。元気な馬を乗り継いだ方が早く行けるということもあっただろうし、馬を宿場ごとに管理する方がなにかと都合がよかったというのもあっただろう。
 各地に残る伝馬町という町名は、たいていこの伝馬から来ているものと思われる。東京ももちろんそうだ。
 で、古傳馬神社だ。
 古傳馬神社というからには新傳馬神社もあるのかといえばそうではない。あるのは古伝馬新田と新伝馬新田だ。
 説明が回りくどいのだけど、順を追って説明する必要がある。
 まず、伝馬新田というものが江戸時代前期の貞享三年(1686年)に開拓された。熱田神宮の南に残る伝馬町がその場所だっただろう。
 これは、熱田宿の伝馬の助けになるようにということで開発された新田だった。伝馬の管理は宿場がやらなければいけなかったので、金銭的な負担も大きかった。それを補おうということだったと思われる。
 この開発は思いのほか順調に進んだようで、すぐに入植者も増え、村が大きくなり、神社のひとつも必要だろうということになった。そうして建てられたのがこの神社だった。たぶん、そのときは神明社だったのではないかと思う。祭神はアマテラスだったようだ。
 その後、元禄9年(1696年)にあらたに伝馬新田が開拓され、新伝馬新田と名付けられた。このことでもともとの伝馬新田が古伝馬新田と呼ばれるようになったのだと思う。
 この神社に関しては情報が少なくて、半分くらい推理と想像で書いているので、間違っているかもしれない。
 明治期にどういう経緯だったのかは分からないのだけど、いったん、熱田社になっている。現在の祭神、ヤマトタケルとタケイナダネはそのとき祀られたものだろう。
 もともとあったのは、熱田の伝馬町だったはずで、現在地の南区豊に移されたのが明治だったのか大正だったのか、ちょっと分からない。ただ、移されたときに古傳馬神社と改称されたのは間違いなさそうだ。古伝馬新田にあったことを記憶にとどめようということだったのだろう。その狙いは当たっているように思う。街中にある小さな神明社や熱田社ではぐっとこなくても、古傳馬神社とあれば、むむ!? となる。一般の人はならないかもしれない。

『愛知縣神社名鑑』に「明治6年据置公許となる」とある。
 据置公許というのは、読んで字の如く、据え置くことを公に認めるということで、要するに廃社にはしませんよということだ。合祀もしないということなのかどうかがちょっと分からないのだけど、とにかく廃止も合祀もされずに現在まで続いているということは明治後期の神社合祀政策も無事に乗り切ったということだ。
 明治39年(1906年)の勅命で、全国の神社20万社のうち7万社が取り壊された。村社でもない無格社のところはどこも危なかった。
 私が古傳馬神社について書けるのはこれくらいのものだ。
 アマテラスとヤマトタケルとタケイナダネというのは変わったトリオだなと思ったら、そういうことだったのだ。神社は行ってみないと分からないことがあるし、調べてみないと分からないこともたくさんあるのだった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

古傳馬神社は町内の神社といった風情

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