白山神社(大須)

鶯谷と呼ばれた頃の面影はないけれど

大須白山神社

読み方 はくさん-じんじゃ(おおす)
所在地 名古屋市中区大須1-30-47 地図
創建年 不明
社格等 村社・十等級
祭神

菊理媛大神(くくりひめおおかみ)

 アクセス

・地下鉄鶴舞線「大須観音駅」3番出口から徒歩約8分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 大須の街としての歴史は江戸時代はじめに名古屋城ができて清洲から町ごと引っ越しをした清洲越しに始まるのだけど、大須の土地の歴史はもっと古く、古墳時代、もしくはそれ以前にさかのぼる。
 名古屋の歴史を語る上で熱田台地は重要だ。象の鼻にたとえられる南北に細長い台地で、古代は海に突き出す格好の岬だった。
 南限に熱田神宮があり、金山(地図)を挟んで北限に名古屋城(地図)が建てられた。
 南の断夫山古墳(だんぷさんこふん)(地図)は東海地方最大の前方後円墳で、その北の高蔵遺跡(地図)からは多くの古墳や弥生時代の遺跡が発掘されている。
 金山駅周辺からも遺跡が見つかっており、大須には大須二子山古墳や那古野山古墳(地図)などがあったことが分かっている。
 この大須を北限として、ここより北からは古墳や遺跡は見つかっていない。古代において人が暮らすには適さなかった土地だっただろうか。名古屋城を築城する1610年でさえ熱田台地北部は湿地や沼地が多かったというから、古代ならなおさらだろう。

 大須白山神社は大須二子山古墳の北西400メートルほどのところにある。大須二子山古墳はすでに壊れてしまって現存していない。現在名古屋スポーツセンターが建っている場所にあった(地図)。
 この白山神社は式内社とされるほど古くはないとしても、鎌倉時代にはすでにあったと考えられている。
『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「往古より鎮座の産土神で享保9年(1724)5月の日置大火の際に宝物、古文書類を失うも、古代祭儀用の小鍬六挺と貞享年(1684-1687)の社殿の修理、元禄年間(1688-1703)鳥居修繕の寺社奉行差出書状の写、往古使用の銅印(日置産土)、秀吉が参拝の古文書等、又宝永三丙戌年(1706)3月修復、享保年、元文(1736)の棟札を社蔵する」

 往古というからには鎌倉時代よりも古そうな印象を受けるけど実際のところどうなのだろう。日置産土(ひおきうぶすな)と刻まれた銅印が残っているくらいだから古いには古い。
 古代祭儀用の小鍬というのはどういうものなのだろう。
 平安時代、このあたりは日置荘と呼ばれ、松原に拠点があったと考えられている。大須白山神社の南、150メートルほどのところだ(地図)。
 のちに日置城が建てられたのは松原の大楠があるあたりとされる。
 残念ながらこの神社をいつ誰がどこから勧請して建てたのかといったことは伝わっていないようだ。古い時代だとすれば、加賀国一宮の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)からということになるだろうか。

  江戸時代前期の『寛文村々覚書』には、八幡 山王 白山権現 山神 神明 5社」とある。
 江戸時代後期の『尾張志』は「白山社 日置の山神社の北西の方にあり 菊理媛を祭るといへり 初めて祭れる年月知かたし 摂社 山王社」としている。
 江戸時代の途中で山王社が白山社の摂社になったようだ。現在は日吉神社と名前を変えて境内にある。
 山神社は大須通を隔てて南に現存する(地図)。
 あとの八幡と神明がどうなったのかはよく分からない。周辺にはそれらしい神社がないのだけど、日置村が思う以上広かったのなら別の町にあるものがそうかもしれない。

 このあたりはかつて鶯谷(うぐいすだに)と呼ばれていた。
『尾張名所図会』にはこうある。
「【鶯谷】 日置小川町の東、白山のあたりをいふ。今も人家まばらなる陋巷(ろうこう)なれば、鶯の啼く音(ね)も一入(ひとしお)静かに聞きなさるる所なり。
 今の大須を知っている人間からするとそんな景色を思い描くことは難しい。しかも大昔のことではなく江戸時代後期のことなのだ。
 浅井広国が明治26年に出した『尾張名所独案内』にはこう書かれている。
「須崎橋の数丁(すうちょう)北堀川の東岸に添ふて紫川(むらさきがわ)の下流なり
 往古は此近傍(このきんぼう)は峻厳(しゅんげん)なる山谷(さんごく)にして此処に鳴く鶯は有名なる者なりしが今は只わずかに小溝のあるのみなり」
 明治に入ると少しずつかつての面影は消えていったようだ。

 大須といっても大須観音地図)や商店街があるのはここより東の大須二丁目、三丁目で、白山神社のある大須一丁目は繁華街ではなくわりと静かな住宅街だ。人家や建物が増えたのは戦後のことなのだろう。
 町名の変遷でいうと、江戸時代中期の1765年に町屋として成立して小川町となった。ここに住んでいた小川さんにちなんだものという。
 明治11年(1878年)にいったん鶯谷の地名が復活する。
 明治期を通じて鶯谷町の町名は続き、昭和11年(1936年)に中区岩井通に編入されて鶯谷の町名は消滅した。
 昭和52年(1977年)に中区大須一丁目となり、現在に到る。
 地図上では鶯谷という表記は確認できないのだけど、どこかに残っているかもしれない。

 白山神社で朱塗りの鳥居はあまりない。
 拝殿前に幅の広い石段があり、拝殿奥の本殿は更に一段高いところにある。横から見ると土地がこんもり盛り上がっていて古墳を思わせる。
 古墳の上に白山神社というのはよくあるパターンで、大須一帯に古墳群があったというからここも古墳だった可能性もあるのではないか。そういう情報はどこからも得られなかったものの、古墳ぽいな思ったことは思った。
 拝殿前に玉砂利が敷かれているのは名古屋では珍しい。今のところ他では見たことがないような気がする。
 雰囲気からしても、体感からしても、ここは古いなと感じた。他の神社に向かう途中で偶然見つけて寄った神社で、由緒書きもなかったからその場では感触でしかなかったのだけど、この神社の歴史を多少知った今はなるほどと納得した。
 後になってじわじわと効いてくるような神社がある。現場ではそれほど強い印象はなかったのに時間が経ってあれはいい神社だったんじゃないかと思うようになるということがたまにある。
 この大須白山神社はそういう神社のひとつとして記憶に残ることになった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

大須の街外れにある古い白山神社

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