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濱神明社

今はもう浜からは遠いけど

濱神明社

読み方 はま-しんめい-しゃ
所在地 名古屋市瑞穂区塩入町145号 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
アクセス 地下鉄名城線「堀田駅」から徒歩約1分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

『尾張志』(1844年)に、「神明ノ社 本井戸田村にあり 濱の神明といふ」と書かれているのが、この濱神明社だ。
 以前は今より南の八丁畷(はっちょうなわて)にあった。現在の松田橋交差点(地図)あたりだったようだ。
 神社があった場所は、古くは呼続(よびつぎ)の浜と呼ばれ、渡船場があったとされる。
 少し東北の土居の浜に御塩焼所(みしおやきしょ)があり、伊勢の神宮(web)で神事の時に使う塩を製造していたことから、浜に神宮の遙拝所を建てたのが始まりという。
 やがて陸地化が進むとあたりは田んぼになり、田んぼの守り神としてアマテラスを祀る神明社となった。

 明治39年(1906年)の神社合祀政策の勅命を受けて、明治41年(1908年)には廃止が決まり、近くの津賀田神社に合祀された。
 しかし、昭和15年(1940年)、宅地化が進んで住人も増え、出兵する兵隊の見送りにも神社が必要だということで、津賀田神社から呼び戻す形で現在地に再建された。津賀田神社でもそのままアマテラスを祀っていることから、分霊という形だったようだ。

 境内にはふたつの石碑がある。
 ひとつは「斗帳寄進碑」で、これは伊勢の神宮に斗帳を寄進したことを記念したものだ。
 斗帳(とちょう)というのは、神仏が入った厨子(ずし)などの前に掛ける帳(とばり)のことだ。神社に寄進したとなると、社殿の前に掛ける垂れ幕のようなものだっただろうか。
 斗帳寄進碑は津賀田神社にあるものと対になっていて、一方は津賀田神社に置いてきたとのことだ。
 摩耗していてはっきり読めないのだけど、「慶長廿稔乙卯七月吉日 アの梵字 天照皇太神宮御神前奉掛斗帳悉池成就祈所 護持施主佐久羅四郎太夫敬白」と刻まれているそうだ。
 アは大日如来を表す梵字(ぼんじ/サンスクリット)で、アはサンスクリットでも英語でも日本語でも最初の字ということで、すべての始まりを意味するとされる。
 大日如来は密教における最高の仏であり、神仏習合では大日孁貴(おひるめのむち/天照大神)と同一視された。
 神仏習合時代の神明社らしいものといえる。

 もうひとつの石碑は「月待供養碑」で、天正17年(1589年)の銘があり、現存する中では尾張最古のものとされる。
 月待ちの習慣は平安時代に上流社会で始まり、室町、江戸時代には庶民の間で盛んに行われるようになった民間信仰のひとつだ。
 講というグループを作って、夕方から集まり飲食しながら月の出を待ち、月に祈るといったものだ。
 十五夜、十七夜、二十三夜などがあり、特によく行われたのが二十三夜だった。
 現代人は月齢など気にせず暮らしているけど、大陰暦だった時代の人たちにとっては月齢が日にちを表しているから、今日が月齢何夜というのは常に意識していたし分かっていた。
 信仰といっても江戸時代になると仲間内の集まりといった意味合いが強くなっていったようだ。
 こちらの石碑は古い割にしっかり文字が残っていてだいたい読むことができる。
 梵字が3つあり、その下に「天正十七年巳丑五月吉日 敬白十七夜待開眼供養の所 尾州愛知郡分野住人四郎五郎 現世安穏後生善所」と刻まれている。
 十七夜はあまり一般的でないため珍しい。分野(わけの)の住人(南区桜本町1丁目付近)、四郎五郎という人が寄進したことが分かる。月待供養碑は講で寄進することがほとんどで、個人で寄進する例は少ない。
 丸の中にある梵字は、「サク」、「ベイ」、「カーン」で、サクは勢至菩薩、ベイは毘沙門天、カーンは不動明王を表している。
 月待ちの本尊は勢至菩薩なのでサクが中心で、脇を毘沙門天と不動明王が固めているという格好だ。
 もうひとつの梵字は「キャカラバア」で、五輪塔の空・風・火・水・地という仏教の五大(宇宙を構成する5つの要素)を表している。

 石碑の他に、西行腰掛石と呼ばれる石も境内にある。
 西行が東へ向かう旅の途中で熱田社に立ち寄った際に腰掛けたという伝説を持つ石だ。
 熱田神宮(web)の二十五橋にも同様の伝説があり、この石はもともと二十五橋の近くにあったという話もある。
 実際は西行好きの人が作って神社に寄進した石らしいのだけど、西行と熱田社に関しては次のような逸話も残っている。
 西行が熱田社で「かくばかり木陰すずしき宮立ちを 誰が熱たと名づけ初めけむ」と歌ったところ、ある人が「やよ法師 東の方へ行きながら など西行と名告り初めけむ」と返したため、西行が一本取られる形になったというものだ。
 こんなに涼しげなお宮なのに誰が熱田なんて名付けたのだろうと歌ったのに対し、法師さんよ、東へ行くのにどうして西行なんて名付けたんだい? と返したといったやりとりだ。
 腰掛け石も歌も本当ではないとしても、話としては面白い。
 神社があればこういう話も残るし、神社がなくなければ語り継がれずに忘れ去られていく。神社の役割は願い事をする場所というだけではないことを再認識する。

 

作成日 2017.9.23(最終更新日 2019.3.28)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

今は浜辺ではなく街中にある濱神明社

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