石神社

民間信仰から生まれた石としゃもじの小さな神社

石神社境内

読み方 いし-じんじゃ
所在地 名古屋市南区星崎町阿原22 地図
創建年 不明
社格等  十五等級
祭神

伊佐奈岐命(いざなぎのみこと/猿田彦命とも)

アクセス

・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約1分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 石神社の名前の通り、石を御神体として祀っているという。
 その石は隕石だという話がある。
 このあたりの星﨑という地名は、石神社の西北300メートルほどのところにある星宮社(地図)が由来とされる。
 実際、641年と1632年に隕石が落下したという記録があり、そのうちのひとつが石神社の500メートルほど南の喚續神社(よびつぎじんじゃ/地図)に御神体として祀られていたという。
『尾張名所図会』の付録「小治田之真清水」では、落ちてきた隕石を取り囲む人たちが描かれている。江戸期の人たちは基本的に暇だから、こういう珍しい出来事が大好きで、噂が噂を呼んで大勢の人たちが見物にやってきたことだろう。
 星石と名付けられたその石は、長らく個人が所有したのち、1829年に喚續神社に奉納されたようだ。
 昭和51(1976年)に国立科学博物館で鑑定してもらったところ、本物の隕石に間違いないというお墨付きをもらったらしい(隕石はそのまま国立科学博物館所蔵になったようだ)。
 ここは笠寺台地の南端に当たり、かつてすぐ南は海だった。星﨑は海を見下ろす高台の岬で、隕石が落下したのはたまたまだったとしても、よく星が見えた場所だったに違いない。
 石神社は歯痛や神経痛に霊験あらたかともっぱらの評判だったそうだ。隕石に含まれていたなんらかの宇宙的な物質が人体に影響したなどというとSF的な妄想になってしまうだろうか。
 参拝者がお礼に杓文字(しゃもじ)を奉納したことから、おしゃもじ様と呼ばれるようになった。

 この神社の創建はおそらく江戸期だろうと思うけど、素朴な信仰というものは日本に古くからあったはずで、石に神聖を見るというのもそのひとつだ。それはおそらく縄文時代からあったに違いない。縄文時代の始まりは紀元前14000年というから、千年単位ではなく万年単位の話だ。
 神を祀る神社というと、天津神、国津神という色分けで考えがちなのだけど、それ以前から存在した素朴な信仰から生まれた神社というものもある。
 それは本来、名前のない神だったかもしれない。明治になって神社を管理するとなったとき、何の神を祀っているか分からなくなっていたところも多かったという。分からないなら神明社にしておけということで神明社とされた神社も少なくない。
 名前のない神に名前をつけてしまったことでかえってその神や神社の本質が見失われることになった。
 石神社は、民間信仰から生み出されたものだろう。どういう経緯で石が祀られるようになったのかは分からない。その石に宿る神がイザナギとされたのもどういうことだったのか。イザナギではなくサルタヒコという話もある。どちらかというとサルタヒコの方がしっくりくる。

 民間信仰のひとつに宿信仰というものがある。石や木などといった自然物の他に、もっと小さなものや、身近な生活用品などにも神が宿るという考え方だ。
 石神(いしがみ)は石神(しゃくじ)でもあり、しゃくじは社宮司とも表記する。
 さらに、しゃくじは杓子神とも書き、杓子(しゃくし)にも通じる。
 このあたりの民間信仰に関しては、あまりにも多岐にわたって複雑すぎるので私の手には負えない。
 柳田国男は、大和民族に征服される前の先住民の信仰を賽の神(サイノカミ)と呼んだ。道ばたに置かれた道祖神などもそうだ。
 諏訪地方(長野県)にはたくさんの社宮司神社があり、古くからミシャクジ信仰というものがあったとされる。それは諏訪の土地の神であり、蛇神ともされる。
 諏訪大社の祭神であるタケミナカタ(建御名方神)は後からやって来た神で、本来はミシャグジ神を祀る神社だったと考える人もいる。
 名古屋にもいくつか小さな社宮司神社がある。おそらく諏訪方面からの流れを汲む神社だと思うのだけど、以前調べたときには正体不明で投げ出してしまった。シャクジ信仰というものは相当に複雑で理解するのが難しい。
 星﨑の石神社について言えば、隕石云々とは直接関係ないように思う。やはりシャクジ信仰から発生した神社だろう。
 石に詣ってしゃもじを奉納したのではなく、シャクジ信仰が先にあって、石を祀るというのが後付けのようにも思う。

 それにしても、なんだかいい空気を持つ神社だ。狭小住宅(きょうしょうじゅうたく)のような神社なのだけど、四畳半一間的な居心地の良さを感じる。この神社を守り伝えてきた人たちの温もりが作りだしているものだろうか。
 現在はすぐ北に名鉄名古屋本線の本星﨑駅があるエキチカに立地しているのだけど、かつては神社の西の通りが笠寺と知多を結ぶ知多街道と呼ばれる主要道路だった。
 多くの旅人がこの神社にちょっと立ち寄って参拝したり休息を取ったりしたのだろう。その頃は今よりももう少し境内も広かったと思うけど。

 ガイドブックには載らないような、こんな小さな神社も拾い集めて紹介していくことも、このサイトの役割のひとつだと思っている。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

民間信仰から生まれた小さな神社、石神社

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