やっと見つけたけど詳細は不明
読み方 | あきば-じんじゃ(かままち) |
所在地 | 瀬戸市窯町 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | |
祭神 | 不明(迦具土?) |
アクセス | 瀬戸コミュニティバス「窯下停留所」から徒歩約14分 |
駐車場 | あり |
webサイト | |
例祭・その他 | 11月10日(に近い日曜日?) |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事 |
探し回ってまさかの
この神社を探してずいぶんうろつき回った。
地図に大きく載っているから小さな祠だけということはないだろうと予想してそれっぽいところを探すもまったく見つからない。
近くにある墓地が目印で、そのすぐ東のはずなのだけど。
同じ所を行ったり来たりしていたら前から散歩のおやじさんがやってきてこの人なら知ってるはずだと訊ねたら、若い頃から現在に至るまでの身の上話を15分ほどされて結局教えてもらえなかった。
更にうろつきまわり、ようやく庭で洗濯物を干していた奥様に訊ねたら、やっと道順を教えてもらえた。
やっぱり探していた場所は間違いではなかった。
しかし、その場に着いてみても広い駐車スペースがあるだけで神社はない。それらしい気配さえない。
これだけ神社を回っているから神社レーダーが発達していて神社は感じるものなのに、ここではそれが効かない。
どういうことなんだろうと視点を左手の奥まった方に向けると、何やら集会場のような小屋が建っている。まさかあれじゃないよなと思って近づいたらまさかこれだった。
何ーーーー!!! と、心の中で叫んでしまった。うっかり心の声が外に漏れそうだった。
いろいろな神社を見てきて、公民館の中に収まっているものや建物の二階にあったりするところも経験済みだけど、これはそれらに迫る衝撃的な神社だった。
これでは神社レーダーも反応しないわけだ。
建物には秋葉神社の扁額がかかっているので間違いない。
ドアの鍵が掛かっていて中には入れないのでのぞいてみたら、中には確かに社がある。中央が大きめで、左右に小さな社が3つ並んでいた。
これが秋葉社に違いない。
小屋の中はやや雑然としていて、机や座布団が積まれていたから集会場としても使われているのだろう。
いつからこのスタイルになったかは分からないけど、かなり斬新だ。
詳細は不明
神社(集会場)があるのはかつての下品野村、現在の窯町(かままち)だ。
今昔マップ(1888-1898年)で位置を確認すると、ここは下品野村の東端に当たる。
南側はずっと丘陵地が続き、北に田んぼが広がっていた。
田んぼの中を流れているのは鳥原川だ。
窯町の由来について「瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 2020」は、尾張藩の御用窯があったことから名づけられたといっているけど本当だろうか。
尾張藩の御用窯というと祖母懐土から作る城内の御深井焼が知られいてるけど、下品野村にも御用窯があったかどうか。
赤津村や瀬戸村をはじめとして、瀬戸一帯で焼き物を焼く窯はたくさんあって、その中でこの地に窯町という町名を付けたということは何かもっと他に理由があったのではないか。
この秋葉社に関する情報は何も得られず、推測するしかないのだけど、それもなかなか難しい。
ここに窯があったというなら、その守り神として秋葉権現を祀ったことは充分に考えられる。
だとすれば、それは江戸時代ということで、どこかの窯元だったかもしれない。
秋葉権現は集落の中にたくさん祀られたから、その中の生き残りの可能性もあるだろうか。
あるいはもっとずっと新しく、昭和になってから祀られたものということもなくはない。
名古屋では屋根神などで熱田社・秋葉社・津嶋社を祀った例が多く、ここも三社並びなのであり得るのではないか。
氏子さんやこのあたりの住人の方に訊けばもう少し何か分かるかもしれないけど、とりあえず私としてはここでお手上げとなった。
何か分かれば追記します。
作成日 2024.11.23