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秋葉社(辻の秋葉社)


辻で大高の町を見守る



辻の秋葉社外観

読み方あきば-しゃ(つじの-あきばしゃ)
所在地名古屋市緑区大高町字高見32 地図
創建年1800年(江戸時代中期)
旧社格・等級等無格社・十五等級
祭神加具土命(かぐつちのみこと)
アクセスJR東海道本線「大高駅」から徒歩約10分
駐車場 なし
その他例祭 9月27日
オススメ度

 大高城址(地図)の北170メートルほどのところにある小さな秋葉社。
 三叉路の角にあるということで、辻の秋葉社と呼ばれている。
 一般的に辻(つじ)というのは、道路が交差する十字路のことをいうのだけど、人や物が集まっていく場所といったニュアンスも含んでいる。
 秋葉社が建っている場所は、かつて大高の中心だった。大高で辻といえばこの三叉路のことを意味していた。
 南北朝時代には大高城はあったとされるも、辻の賑わいはそれ以前からだったのではないか。のちに常滑街道(知多街道)として整備される道は、鳴海方面と知多方面を結んでおり、この辻で師崎街道と分岐した。
 江戸時代中期になると、ここに江明市場(よめちば)が立ち、春と秋の年2回、馬市やその他の市が開かれたという。村の高札場もここにあった。
 明治に入ると、役場や郵便局、学校もこのあたりに集められ、長らく大高の中心地となっていた。
 今昔マップからそのあたりの変遷が見てとれる。



 この辻に秋葉社が建てられたのは1800年のことという。市が立ち、人の往来も増え、民家が密集するようになって火事を恐れてのことだろうか。
 江戸時代中期は、秋葉社、牛頭天王社、稲荷社、神明社の中から選ぶことが多かった。火除けを願うなら秋葉社、疫病退散なら牛頭天王社、商売繁盛なら稲荷社、五穀豊穣を願うなら神明社といった具合だ。
 大高は昔よく火事があったところで、もともと火高という地名だったのを、火の字を嫌って大高にあらためたともいわれる。その分、火事を恐れる気持ちが強かったということだろう。
 それにしては、1800年創建というのは少し遅すぎるようにも思うけど、そのあたりはどうなのだろう。
 境内にある常夜灯には明和7年(1770年)の銘があるということなので、もしかしたら創建は1800年より前だったかもしれない。あるいは、常夜灯をよそから移したという可能性もある。
 毎年の祭礼はこの辻の秋葉社から出発するのが古くからの習わしで、毎月16日は秋葉講を開いて防火の神事を行っているそうだ。
 鉄道と道路のせいで大高の中心は他に移ってしまったけれど、辻の秋葉社は今でもしっかり大高の町で機能しているといえそうだ。



 現在の祭神はカグツチ(加具土命)となっているけど、創建時はもちろん秋葉権現だった。
 秋葉神社の総本社は静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社(web)だ。全国にある秋葉社の起源はだいたいここということになる。
 古くから秋葉山そのものが霊山とされており、社殿の創建も和銅2年(709年)までさかのぼる。
 平安期以降、修験なども入って神仏混淆が進み、江戸時代には秋葉権現社と観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(しゅうようじ)が同じ境内にあった。
 明治の神仏分離のときはかなりもめたようだ。
 秋葉社が各地に広まったのは、5代将軍・綱吉の時代以降とされる(在任1680年-1709年)。
 現在は全国で800社ほどの秋葉社があるとされる。小さなものまで含めるともっとあるはずだ。
 小さな秋葉社は町に溶け込んであまり存在感を示していないけれど、守り神としてしっかり効いているように思う。




作成日 2017.5.12(最終更新日 2019.4.1)


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