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東谷山白龍大明神(鹿乗町)

東谷山から降ろしてきた白龍さん?

読み方とうごくさん-はくりゅう-だいみょうじん(かのりちょう)
所在地瀬戸市鹿乗町 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神不明(白龍大明神)
アクセス名鉄バス「鹿乗町」より徒歩約3分
駐車場なし
webサイト
例祭・その他不明
神紋
オススメ度
ブログ記事

東谷山から降ろしてきた?

 瀬戸市鹿乗町と十軒町との境ぎりぎりの鹿乗町側にある(と思う)。
 幹線道路から外れた生活道路沿いの少し奥まったところにあるので、たまたま見つける可能性は低い。
 東谷山白龍大明神という名前からして東谷山(とうごくさん)と関係があることは分かる。
 わずかなネット情報から知ることができたのは、山にあったものを現在の場所に移したということだ。
 その山というのが東谷山なのだろう。
 白龍から見て東谷山は南にあって、この場所はその麓近くということになる。

 移されたのがいつだったのか、そもそも最初に祀られたのはいつだったのかといったことは調べがつかなかった。
 ネットにも史料にも手がかりはない。
「白龍大明神」と彫られた社号標には「昭和廿八年四月建之」とあるのだけど、それが遷座の年と決めつけることはできない。この社号標がその年に作られたというだけだ。
 ただ、社その他、全体の古び加減は戦後間もなくといわれるとちょうどそんな感じに思える。
 寄進者などが書かれたプレートがあって、たくさん名前が書かれているので、少しずつの寄付でも大勢が関わっているということだ。
 総代として5名の名前が書かれているけど、古いものであればそれも変わっているかもしれない。
 その中に「東谷山白龍大明神の由来百冊 中尾兼雄」とあるのが気になった。これを読めばある程度由来が分かりそうだ。
 ただ、名古屋市図書館にも瀬戸市図書館にも蔵書としてはないので、手に入れるのは難しい。

 今昔マップで明治中頃(1888-1898年)のこのあたりの様子を見てみよう。
 祠があるだけで神社と呼べる規模ではないので、最後まで鳥居マークが描かれることはない。
 面白いというか興味深いと思ったのは、白龍の前の道がかつての旧道だったことだ。ここを西へ行ったところに玉野川(庄内川)に架かる橋がある。
 この道が南東の十軒家と西の対岸の高蔵寺とをつないでいたようだ。
 このときはまだ後の国道155号線に当たる道は通っていない。
 次の1920年(大正9年)を見るとすでに橋はなくなっており、155号線の元になる新道が通って、現在の鹿乗橋が架かっているところに橋が架かっている。八幡社(鹿乗町)の北だ。
 1968-1973年(昭和43-48年)の地図では西側の国道155号線もできている(国道155号線として制定されたのは昭和38年)。
 まだ愛知環状鉄道はできていない。愛知環状鉄道の開通は1976年(昭和51年)のことだ。

 社を収めた覆い屋には何かの木彫が施されているのだけどよく分からない。
 大小3つの三日月を並べたような図形も初めて見るもので、その上に蛇の彫刻が乗っている。
 細長くくねくねしているのは龍なのか雲なのか。
 上部左右の生きものは更に分からない。
 片方はなんとなく亀っぽい。
 もう一歩は虎のような獏のような。
 注連縄もちょっと変わった形をしていて、いろいろ独自の世界観がある。



 いつ誰が東谷山に白龍を祀ったのか。
 現状で分かることはほとんどない。
 もし由来記を読む機会があれば追記します。

作成日 2025.3.7

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