
東郷和合三社のうちのひとつ
読み方 | おんたけ-じんじゃ(わごうむら) |
所在地 | 愛知郡東郷町和合字芦廻間 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | |
祭神 | 不明 |
アクセス | 名鉄バス「和合西口」より徒歩約1分 |
駐車場 | なし |
webサイト | |
例祭・その他 | 不明 |
神紋 | |
オススメ度 | * |
ブログ記事 |
二度目の参拝断念
県道218号線(和合豊田線)から北へ少し入ったところに入り口がある。
御嶽社がある住所は芦廻間(あしばさま)なのだけど、すのすぐ南はジ子ンゴ(じねんご)という。
カタカナと漢字が混じる地名はかなり珍しいし、そもそもジネンゴって何だ、と思う。
竹の実のことを”ジネコ”といい、それが訛ったものと説明されるのだけど、今一つ信じられない。
隣のみよし市にも同じ音で”地念古”(ぢねんご)という地名があることからしても、何かいわれがあるのではないだろうか。
竹なんてそこら中にあるから、その実が地名になるとは考えにくい。
竹は竹でも植物の竹ではなく竹の一族に関係がある可能性はある。
それにしても”ジ子ンゴ”という表記がそのままになったのは何故なのかが気になるところだ。

入り口の階段は民家と民家の間にあって、鳥居が奥まったところにあるので見落としがちながら鳥居のところまでは普通という順調だった。
この先でまさかの事態が待ち受けているとはこの時点で想像もしてなかった。

え!? マジで? と思う。
嘘みたいに草がボウボウで参拝者を激しく拒んでいる。
わりと使命感を抱いて神社を巡っている私なので、少々の困難には負けないつもりでいるのだけど、これはさすがに太刀打ちできなかった。
足下がまったく見えないので超危険だし、どこかにはまって出られなくなったら永遠に助けが来ない可能性がある。
30秒くらいは考えたけど、諦めて引き返した。
こんなふうに草ボウボウで侵入を阻まれたのは瀬戸市東権現町の御嶽神社以来、二度目だ。あのときも相当驚いたけど、まさか二度目があるとは思わなかった。
帰ってきてから地図を確認したら、東からもアプローチできるようだ。近所の人に訊ねたら他の入り口はないですよと言われたので、ちゃんと確かめなかった。
あのあたりにもう一度行く機会があるとは思えないけど、まだ参拝できていないのが気になるので、いつか再訪してみたいと思う。冬場なら南からも行けるかもしれない。

情報はなし
尾張の地誌やネットにも情報がなくて、いつ頃創建されたのかも分からない。
ネット情報に小牧長久手の戦い(1584年)の落ち武者の伝承があるとあったけど、その内容までは書かれていなかった。
日進の岩崎城(地図)から見てもここは5キロ以上離れているのだけど、こんなところまで落ち延びてきたのだろうか。
今昔マップの明治中頃(1888-1898年)で場所を確認してみる。
和合の春日社(地図)から見て300メートルほど西北に位置しており、同じ小山の上といえそうだ。
江戸時代に創建されたものであれば明治の地図に載っていそうだけど、何も描かれていない。
1968-1973年(昭和43-48年)の地図には鳥居マークが載っている。
最初からこの場所に建てられたのか、他から移されてきたのかは何ともいえない。
東郷町は春日社が3社あって春日社の印象が強いのだけど、地味に御嶽社も3社あって、東郷町は春日と御嶽の土地といういい方もできる。
日進御岳山の御嶽社から発したものなのか、独自の信仰なのか、そのあたりもよく分からない。
和合村の隣の諸和村にも御嶽社があって、そちらが元という話もある。
これ以上情報が得られるとは思えないけど、何か分かれば追記します。
作成日 2025.7.25