かつて稲葉地城があったことから城屋敷の地名がついた。ここは江戸時代に稲葉地村と呼ばれていたところだ。 稲葉地村には神明社が三社あり、一社は合祀されて、もう一社は稲葉地町に現存している。区別するために稲葉地町の神明社を稲葉地神明社(地図)、城屋敷の神明社を城屋敷神明社としている。 古くから地元の人たちは北にある方を上之切神明社、南のものを下之切神明社と呼んでいたという。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。 「創建は明かではない。『尾張志』に神明社三社稲葉地村にあり、その一社なり。上の切の氏神として崇敬あつく、明治5年7月、村社に列格し、大正4年9月24日、上之切に鎮座の無格社、津島社、白山社、鎮守社、八幡社、十二社、倉稲魂社の六社を本社に合祀する。昭和6年6月26日、指定社となる」
『寛文村々覚書』(1670年)の稲葉地村の神社はこうなっている。 「社 六ヶ所 内 神明二社 大明神 権現 八幡 白山 岩塚村祢宜 善大夫持分 社内八畝廿八歩 前々除」 「社 弐ヶ所 内 八幡 神明 社内年貢地 右同人持分」 前々除となっている神明二社のうちの一社がこの城屋敷の神明社だ。
『尾張志』(1844年)はこう書いている。 「神明社 天照大御神をまつる村の氏神也境内の末社八幡ノ社春日ノ社 白山ノ社 八幡ノ社 二所 十二所ノ社 氏神より卯の方にあり 毘沙門ノ社 鎮守ノ社 氏神より午の方にあり 神明ノ社 小鍋といふ處にあり境内の末社八幡社春日ノ社あり 大日ノ社 大明神ノ社 東宿といふ處にあり此處の氏神也 神明社 八幡社 六石新田にあり 天王ノ社 氏神より辰の方にあり」 一番先頭の「天照大御神をまつる村の氏神」がこの城屋敷の神明社に当たる。 大正5年に近くにあった神社をまとめて神明社の本社に合祀している。 天神七代と地神五代を祀るとする神社は非常に珍しいのだけど、十二所社の祭神だったということだろう。 現在の祭神の中に鎮守社の祭神が見当たらないのが引っかかった。これもアマテラスということにしてしまっただろうか。
稲葉地城は清須城(web/地図)から見て5キロほど南の庄内川沿いに位置していた。ここから北東6キロほどのところに那古野城(地図)があった。 稲葉地城の初代城主は信長の父・信秀の弟の津田豊後守信光と伝わる。津田信光が築いたとされるも、築城時期などはっきりしたことは分からない。 神社入り口にある石碑の「織田信長伯父津田豊後守居城」は間違いで、織田信長の叔父としなければいけない。父親の兄は伯父で、父親の弟なら叔父だ。 津田と名乗っているのは、織田家の嫡流以外は織田を名乗ることが許されず、津田に改めさせられたためとされる。どこまで厳密だったのかは分からないけど、書面の場合は特にそうだったようだ。 津田は織田家のルーツが近江国の津田郷にあったからという説がある。のちに信長が安土城を築いた場所だ。 信秀亡き後、信光は信長の側について活躍することになる。 信長と敵対する信友をだまし討ちにして殺害して清須城を奪還。清須城を信長に譲り、自身は信長に与えられた那古野城に移った。 しかし、それから半年後の1555年、自分の家臣の坂井孫八郎によって殺害されてしまう。 一説では目の上のたんこぶになりかねない信光を信長が暗殺するよう指令を出したともいわれる。 別の説では、信光の正室と坂井孫八郎が通じていて、ふたりが発覚を恐れて殺したともいう(『甫庵信長記』)。 案外それが真相だったりするのかもしれない。歴史というのは男たちが表で動かしているだけではない。家督相続なども女性が絡んでいることが多いし、戦国武将といえども痴情のもつれで命を落としたりしたことがあったのではないか。 二代・玄蕃充、三代・与三郎は桶狭間の戦いで討ち死に。四代小藤次は本能寺の変で戦死した。その後、ほどなくして廃城になったと伝わる。 神社のすぐ南にある凌雲寺(地図)は信光によって建立されたとされる。幼い頃の信長がここで習字の手習いなどをしたという言い伝えが残る。
神明社が建っているところから見て稲葉地城は東南にあったとされる。神明社は稲葉地城の跡地に建てられたという話もあるのだけど、それは間違いだと思う。 この神明社は稲葉地村の氏神だったということは集落にはなくてはならない神社で、前々除だったことから創建は遅くとも江戸時代以前にさかのぼる。本能寺の変があったのが1582年で、その直後に稲葉地城が廃城となってすぐに神明社を建てたとは考えづらい。もしそうだったとしても、そんなに新しい神社が1608年の備前検地のときに除地とはされないはずだ。 稲葉地村にあれだけ多くの神社があったということは、集落の成立はかなり古いと考えるべきで、それは戦国時代以前ではないだろうか。神社の創建も集落の成立と同時期の可能性がある。
寄り合い所帯ということもあって、一風変わった神明社という印象を受けた。少し暗くて重い。じめっとしている感じもある。 もともとここは神明社ではなかったかもしれない。 青く塗られた金属製の賽銭箱に、金色の龍がくっつけられているという斬新なデザインが記憶に残った。
作成日 2017.6.7(最終更新日 2019.4.29)
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