第57回 ”蜜柑”の由来と語源
こんにちは。
”蜜柑”という言葉の初出は、コトバンクによると、応永二七年(1420年)の『看聞御記』にある「当年蜜柑難レ得也」とありますが、更に古い文献その他はありますか?
『今昔物語』や『徒然草』に出てくる”柑子”は蜜柑とは別?
※テーマを決めて歴史対話をする場合はGeminiなのだけど、ちょっとした疑問、質問を投げかけたり、日常的な会話や画像生成依頼などはChatGPTを使うことが多い。
今回もそうだったのだけど、思いがけず深いテーマにつながったので、ここに収録しておきます。
こんにちは。
これはかなり面白いところです。結論からいうと、「蜜柑」という語の初出と、ミカンそのものの日本での歴史は分けて考えたほうがよさそうです。
そしてご質問の『今昔物語』『徒然草』の「柑子」は、基本的には「蜜柑」とは別名・別系統として扱われています。ただし、現代の「ミカン」と完全に別種だった、と単純化するのも危険です。
まず「蜜柑」という語
コトバンクの『日本国語大辞典』系の説明では、たしかに、
応永27年(1420)『看聞御記』
「當年蜜柑難得也」
が重要な早い例です。しかも、この同じ記事には非常に重要なことが書かれています。
『看聞御記』では「蜜柑」と「柑子」が明確に区別されているのです。
実際、応永27年11月9日の記事には、足利義持が蜜柑を好んでいたので人々が探し回ったが、「蜜柑」はなかなか手に入らず、足りない分には「柑子」を添えて献上した、という内容があります。
つまり、
蜜柑 ≠ 柑子
という認識が15世紀初頭にはすでに成立していた、と見てよさそうです。
では「柑子」はいつからあるのか
ここが面白いところです。
「蜜柑」という語より700年近く前から、「甘子(かんじ/こうじ)」という語が史料に出ています。
『続日本紀』神亀2年(725)11月条です。
弟兄、初めて甘子を唐国より齎し来る。
虫麻呂、先づ其の種を殖ゑて子を結ぶ。故に此の授あり。
つまり、播磨直弟兄が唐から「甘子」の種を持ち帰り、それを佐味朝臣虫麻呂が栽培して実をならせたので、その功績によって二人が昇叙された、という記事です。
そしてこの「甘子」は、後世の「柑子(こうじ)」につながります。
奈良文化財研究所の木簡データベースでも、宝亀元年(770)の荷札木簡に関連して、「甘子」は『本草和名』『和名抄』ではカムシと読まれ、**「柑子・蜜柑または地蜜柑とよばれている在来種」**との説明があります。
奈良県立万葉文化館も、「甘子(かうじ)」を食用の柑橘で、柑子蜜柑(こうじみかん)と考えられているとしています。
したがって、大雑把な流れとしては、
甘子(かむし/かんじ)
→ 柑子(こうじ)
→ 柑子蜜柑・コミカン類
という系譜が考えられます。
『今昔物語』の「柑子」は、まさにこれ
おっしゃる通りです。
『今昔物語集』には「柑子」が何度も出てきます。
たとえば有名な「わらしべ長者」の話、巻十六第二十八話では、
「藁筋一つが大柑子三つに成ぬる事」
と出てきます。これはまさに果実としての柑子です。
また『今昔物語集』には柑子が複数の巻に登場し、植物資料では「コウジミカン」とされています。
そして『徒然草』第11段の、
「かなたの庭に大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが……」
という有名な箇所も同じです。『徒然草』の柑子について、ジャパンナレッジは**「コウジミカン」「在来ミカンの一種」**と説明しています。果実は温州蜜柑より小さく、扁平で、味は淡白だったとされます。
ですから、
『今昔物語』や『徒然草』の「柑子」=現在の温州蜜柑
ではありません。
しかし、
『今昔物語』や『徒然草』の「柑子」=現代のミカンとは全く関係のない別の果物
でもありません。
古代から日本で栽培されてきた在来系の食用柑橘で、現在のミカン類の祖先・近縁にあたるものと考えるのが適切です。
そして「蜜柑」の初出は、実はもう少し慎重に言う必要がある
ここが今回一番面白いところです。
「蜜柑」という漢字表記の早い例として『看聞御記』が非常に重要なのは間違いありません。
ただし、調べてみると、辞書類ではさらに、
『尺素往来』にも「蜜柑」が見える
とされています。成立は15世紀後半とされます。コトバンクも『尺素往来』の「庭上に植えるべき花木花草」の中に蜜柑が出る、としています。
したがって年代順にすると、
| 年代 | 資料 | 呼称 |
|---|---|---|
| 725 | 『続日本紀』 | 甘子 |
| 平安時代 | 『延喜式』など | 甘子/柑子系 |
| 11~12世紀頃 | 『今昔物語集』 | 柑子・大柑子 |
| 1331頃 | 『徒然草』 | 柑子 |
| 1420 | 『看聞御記』 | 蜜柑 |
| 15世紀後半 | 『尺素往来』 | 蜜柑 |
という感じになります。
では、なぜ「蜜柑」という新しい名前が必要になったのか
ここが非常に興味深い。
『看聞御記』では、
蜜柑と柑子をわざわざ区別している。
しかも、
「當年蜜柑難得也」
とあり、当時の蜜柑は希少品だった。
つまり14~15世紀頃には、古くから存在していた「柑子」とは別に、より甘くて珍重される新しいタイプの柑橘が登場し、それを「蜜柑」と呼ぶようになった可能性が高いわけです。
実際、『日本国語大辞典』の語誌も、「古くは柑子」があり、その後「蜜のように甘い果汁の新品種」が伝えられて「蜜柑」と呼ばれた、という説明をしています。
ただし、ここは**「新品種が中国から○年に入ってきて、それが現在の○○ミカンである」まで確定しているわけではありません。**
さらに面白いのが「大柑子」
これはオオタさんの疑問にかなり関係していると思います。
平安期の『性霊集』には「大柑子」「小柑子」という表現があり、江戸期の本草学者・伊藤圭介の『錦窠植物図説』には、後世の注釈として、
「大柑子は今の蜜柑也」
という記述があります。
ただ、これは**「平安時代の大柑子=現代の温州蜜柑」と確定できるという意味ではありません。**
むしろ、
柑子という大きなカテゴリーの中に、大柑子・小柑子など複数のタイプがあった
と考えたほうが自然です。
そして室町時代になると、その中から「蜜柑」と呼ばれるものが別系統として明確に意識されるようになる。
ですから、今回の話を一言で整理すると
「ミカン」という植物・果実の歴史は非常に古い。しかし「蜜柑」という名前はずっと古いわけではない。
これですね。
古代には、
橘 → 甘子(柑子)
という世界があり、
中世には、
柑子・大柑子・小柑子
などがあり、
室町期になると、
柑子とは区別される「蜜柑」
が登場してくる。
そして近世以降、蜜柑の栽培・品種が増えて、やがて「ミカン」が柑橘類の一般名称のようになっていった――という流れです。
なので、オオタさんが『今昔物語』や『徒然草』を見て「これ、蜜柑じゃないの?」と感じたのはかなり鋭いです。
「違う果物」と切り離すより、
「古代から存在した柑子系のミカン類」と「室町期以降に蜜柑と呼ばれるようになったもの」の関係
として追ったほうが、ずっと面白いテーマになります。
そして実は、**「古代の甘子・柑子が具体的に現在のどの柑橘に当たるのか」**は、植物学・本草学・文献史が絡んできて、かなり奥が深いです。
ここを掘ると「温州蜜柑はいつ日本に成立したのか」という話にもつながります。
いや、なかなか深い話ですね。興味深いです。ありがとう。
日本古来の柑橘類としは他にも何かありますか?
柑子よりも橘の方が先?
蜜柑は”みっかん”とも呼ばれていたようですが、音が先か、言葉(表記)が先か、どちらでしょう?
こんにちは。
はい、ここから先はかなり面白くなります。特に「橘→柑子→蜜柑」という順番と、「蜜柑=ミッカン→ミカン」という音の変化を分けて考えると、かなり整理できます。
まず、日本古来の柑橘は何があったのか
結論からいうと、「橘」のほうが「柑子」より古いと考えてよいです。
ただし、「日本に自生していたもの」と「古代に中国などから導入されたもの」は分ける必要があります。
大きく見ると、
橘(たちばな)
↓
甘子・柑子(かむし/こうじ)
↓
その他の導入柑橘
↓
蜜柑(みっかん)
↓
温州蜜柑など
という流れになります。
1.橘(タチバナ)
これは別格です。
現在の日本に在来・自生する柑橘として代表的なのがタチバナです。日本原生の柑橘として、通常タチバナが挙げられます。沖縄まで含めればシィクワシャーも日本原生とされます。
そして何より古典上の存在が非常に古い。
『古事記』では、垂仁天皇の時代に田道間守が常世国から持ち帰った「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」について、
「是今橘者也」
としています。
『日本書紀』にも同じ伝承があります。つまり、「橘」という柑橘は、少なくとも記紀の世界では非常に古い植物として認識されているわけです。
ただし、
「非時香菓=現在のタチバナ」
と植物学的に確定しているわけではありません。
ここは以前の日本武尊・草薙剣の話と同じで(笑)、古代伝承と植物学的同定を分けたほうが安全です。
2.甘子・柑子
こちらは記録上かなり明瞭です。
725年の『続日本紀』に、
「甘子を唐国より齎し来る」
とあります。
つまり、これは「昔から日本にあった橘」と違って、唐から持ち込まれた柑橘として記録されている。
しかも種を植えて栽培に成功したという話まで残っている。
『延喜式』にも遠江・駿河・因幡・阿波などから甘子が献上された記録があります。
したがって、
橘=日本古来の在来柑橘
甘子=奈良時代に導入された柑橘
という大きな違いがあります。
そして「甘子」が後に「柑子(こうじ)」になっていく。
では、橘と柑子は何が違ったのか?
これが面白いんですよね。
古代の日本人にとって「柑橘類」という植物学的な一括カテゴリーがあったわけではありません。
むしろ、
- 橘
- 甘子
- 柑子
- 柚
- 橙
- 枳(からたち)
など、それぞれ別の植物・果実として認識されていた。
現代の分類学でいう「ミカン科・ミカン属」という枠組みを、古代の名称にそのまま当てはめることはできません。
特に「橘」は、現在のCitrus tachibanaという固有の植物名として残っています。
一方、「柑子」は在来ミカン類の一種で、後世にはコウジミカンと呼ばれるものにつながっていきます。
ですから、
橘のほうが古く、その後に柑子が加わった
という理解で大筋はよいと思います。
そして「蜜柑=みっかん」の謎
ここは前の話から一歩進んだところですね。
かなり重要なのは、「蜜柑」という漢字が先にあって、それを日本語として「みっかん」と読んだと考えるのが自然だということです。
『日本国語大辞典』の語誌が非常に明快で、
古く「柑子」があり、後に「蜜」のように甘い果汁の新品種が伝えられ「蜜柑」と呼ばれた。
当時はミッカンと音読することが多かったが、次第にミカンが一般化した。
という説明をしています。
つまり、
蜜柑 → ミッカン
が基本線です。
「ミカン」という日本固有の音が先にあって、それに「蜜柑」という漢字を当てた、という感じではなさそうです。
しかも「ミッカン」の証拠がちゃんとある
これは面白いです。
1603年の『日葡辞書』では、
miccan
と記録されています。
これはポルトガル人が当時の日本語の発音をローマ字で記録したものなので、かなり貴重です。
つまり17世紀初頭には、
miccan ≒ ミッカン
だったことが分かります。
そしてその後、
ミッカン
↓
ミカン
と促音「ッ」が落ちていった。
これは日本語としても非常に自然な変化ですね。
ただし「蜜柑」という漢字の読み方は、さらに面白い
「蜜」は普通、
ミツ
ですよね。
「柑」は、
カン
です。
だから字面だけなら、
蜜柑=ミツカン
となりそうです。
ところが実際には、
ミッカン
になった。
これは「蜜柑」という漢語を日本語の中で一語として音読する際に、ミツカン → ミッカンという促音化が起きたと考えるのが自然です。
そして、
ミッカン → ミカン
というさらなる変化が起きた。
したがって、現在の「ミカン」は、
蜜柑(ミッカン)という漢語が、日本語の音韻変化によってミカンになった
と見るのが一番すっきりします。
そして、もう一つ気になることがあります
「蜜柑」という名前そのものについて、
「蜜のように甘い柑子」
という意味から生まれた、とする説が一般的です。
そうすると、非常にきれいにつながります。
古代
橘
日本に古くからある柑橘
↓
甘子(かむし)
唐から導入された、甘い柑橘
↓
柑子(こうじ)
古典文学にも登場する柑橘
↓
室町時代
蜜柑(ミッカン)
「蜜のように甘い柑子」という新しい呼称
↓
近世
ミッカン → ミカン
↓
現代
ミカン=柑橘類の総称/特に温州蜜柑
という変遷です。
ただし、これは「一直線に同じ品種が変化した」という意味ではありません。名称の系譜と、植物品種の系譜は別物です。
そして個人的に今回かなり気になるのが、「橘」と「柑子」のどちらが古いかという問題を、さらに『古事記』『日本書紀』『万葉集』まで遡って調べることです。
特に「非時香菓」「橘」「柑子」「甘子」が、古代文献でそれぞれどういう場面に出てくるのかを並べると、単なる植物史ではなく、**「古代日本人が柑橘をどう認識していたか」**が見えてきそうです。
オオタさんの「神社・古層」の話とも、意外に相性のいいテーマだと思います。
甘子が”かむし”だったのに、 柑子は”こうじ”と”濁る”ようになった理由って、なんだと思いますか?
はい、ここはかなり面白いところです。
ただ、先に結論を言うと、「かむし → こうじ」という一つの音変化が起きた、と考えないほうがよさそうです。
むしろ、
甘子(かむし) → 甘子・柑子(こうじ)
の間には、表記・漢音/呉音・和語としての読み替え・音韻変化が何層か重なっていると考えるのが自然です。
まず「かむし」の「む」は重要です
『続日本紀』の「甘子」は、一般にかむしと読まれます。
ところが後世の「柑子」はこうじ。
これだけ見ると、
かむし → こうじ
なので、
- む → う
- し → じ
という二つの変化が起きたことになります。
ところが、このうち 「し → じ」 は比較的説明しやすい。
日本語では、複合語の後半が濁る連濁があります。
たとえば、
- 手+紙 → てがみ
- 山+寺 → やまでら
- 神+棚 → かみだな
などですね。
「こう+し」→「こうじ」という形なら、後半の「し」が連濁して「じ」になった可能性があります。
ですから、
こうし → こうじ
自体は、さほど不思議ではありません。
問題は「かむ → こう」です
ここが難しい。
「かむし」が普通の音韻変化だけで「こうじ」になった、と説明するのはかなり無理があります。
かむ → こう
は変化が大きすぎるんです。
そこで私は、むしろ**「かむし」と「こうじ」は、同じ漢字語の別々の読みが後世に整理された可能性**を考えます。
つまり、
古代の「甘子」=かむし
↓
「甘子/柑子」という漢字表記が定着
↓
漢字の音を反映した「こうじ」が成立
というルートです。
ここで「甘」と「柑」の違いが効いてきます
これ、かなり重要です。
725年の『続日本紀』は、
甘子
です。
ところが後世は、
柑子
という表記が一般的になる。
つまり、最初から「柑子」という漢字だったわけではありません。
「甘子」は日本語として「かむし」と呼ばれていた。
その後、「柑」という漢字が使われるようになって、
柑+子
という新しい漢字語として再解釈された可能性があります。
「柑」は漢音・呉音系では カン/カム に近い音を持ちます。
そして日本語では、漢字音の変化・複合語化の中で、
カム → コウ
のような変化が起こった可能性を検討することになります。
ただし、ここはまだ「これが正解」と言えるほど単純ではありません。
そして、もう一つ非常に面白い可能性
「かむし」という読み自体が、後世の「こうじ」と同じ語の古い発音だったのか?
という問題です。
古代日本語では、現在の「む」と「う」の関係は、現代語ほど単純ではありません。
たとえば、
カム → カウ → コウ
のように、音節の弱化・母音化を考えたくなるケースがあります。
ただ、
かむし → かうし → こうし → こうじ
という経路を想定すると、かなりきれいに説明できそうに見えます。
つまり、
かむし
↓
かうし
↓
こうし
↓
こうじ
です。
特に、
む → う
という変化そのものは、日本語史では全く珍しい現象ではありません。
ただし、ここで慎重になったほうがいい
「かむし → かうし → こうし → こうじ」というのは、非常に魅力的な仮説ではあるものの、これをそのまま史実として断定するのは危険です。
なぜなら、
「かむし」から「こうじ」へ途中段階を示す文献が十分に揃っているわけではない
からです。
むしろ、
古代の在来語・和語として「かむし」があり、
その後「柑子」という漢字表記が定着し、
「こうじ」という読みが形成された
という二段階説のほうが安全です。
「濁った」のも、実は面白い
オオタさんが「こうじと濁る」とおっしゃったところも重要です。
もし、
こうし → こうじ
なら連濁で説明できます。
そして「柑子」は、
柑+子
という複合語です。
ですから、
柑(こう)+子(し)
↓
柑子(こうじ)
という構造を考えると、非常に自然です。
ただし、「子」をなぜ「し」と読むのか、そもそも「こう」がどこから来たのかという問題が残ります。
つまり、
「じになった理由」は比較的説明しやすいが、「こうになった理由」は難しい。
これが今のところ一番正確な整理だと思います。
私なら現段階ではこう考えます
725年
甘子
「かむし」
│
│ 古代の和語としての呼称
↓
甘子/柑子
│
│ 表記の変化・漢字音の再解釈
↓
こうし
│
│ 連濁
↓
こうじ
そして、ここからさらに面白い問題が出てきます。
なぜ「甘子」という表記が「柑子」に置き換わったのか。
これを調べると、単なる発音変化ではなく、中国の本草学における「柑」「橘」「柚」「橙」などの分類が日本に入ってきたことが関係している可能性があります。
つまり「かむし → こうじ」は、日本語の音韻だけを追うより、日本に中国の植物分類・漢名が入ってきた過程まで見たほうが面白そうです。
ここは『本草和名』や『和名類聚抄』を確認すると、かなり手掛かりが出てくるはずです。
このあたり、古代の「橘・柑・橙・柚・甘子」がどう整理されていったかを追うと、かなり面白いですよ。
ちょっと関連しつつ話が飛びますが、”神”についてです。
これは最初から”カミ”だったと思いますか?
カムヤマトイワレビコなどは”カム”ですよね。
カミの語源にも関わることですが、後に神戸の”コウ”や”カン(ベ)やゴウ(ド)””なども派生します。
カムが先でカミは後? 逆?
はい、これはかなり面白い問題です。
そして結論からいうと、私は 「カム→カミ」あるいは「カミ→カム」と一本の変化で考えるのは危ないと思います。
むしろ、古代には「kam-」という語根・語形があり、それが文法的な環境や複合語の中で「カム」「カミ」「カン」「コウ」などに分化したと考えるほうが、かなり筋がよさそうです。
特にオオタさんが挙げた 神戸(かんべ)・神戸(ごうど)・神戸(こうべ) は、この問題を考えるうえで非常に面白い材料です。
まず「カムヤマトイワレビコ」は重要
『古事記』の神武天皇は、
神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)
ですね。
ここで「神」をカムと読んでいる。
一方、
神代(かみよ)
神々(かみがみ)
神主(かんぬし)
などは「カミ」。
つまり、非常に古い文献の段階ですでに、
神=カム/カミ
という二つの形が並存しています。
これは「カムが古く、後からカミになった」というより、古代日本語の中で最初から複数の形態が使い分けられていた可能性を考えたほうがよいでしょう。
では「カム」と「カミ」はどういう関係なのか
ここで古代日本語の音韻を見ると面白い。
上代特殊仮名遣いでは、
カミ(神)
の「ミ」は、普通の「ミ」とは区別される甲類で書かれます。
一方、「カム」の「ム」は別の音節です。
したがって、
kam-
という子音語幹のようなものがあり、
- kam + i → kami
- kam + u → kamu
という形になった可能性があります。
つまり、
カムとカミは、どちらか一方が後から変化したのではなく、同じ語幹から生じた異形態
という考え方です。
これはかなり重要です。
そう考えると「カムヤマト」が自然になる
「カムヤマトイワレビコ」の「カム」は、
神+倭
という普通の「神」の連体修飾形がたまたまカムになった、というより、
kam- + Yamato
のような古い複合語形成の痕跡と考えたくなります。
同じようなものに、
- 神風(かむかぜ)
- 神業(かむわざ)
- 神船(かむふね)
- 神宝(かむたから)
などがあります。
一方、
- 神(かみ)
- 神々(かみがみ)
- 神主(かんぬし)
では「カミ」「カン」に変わる。
つまり、
複合語の中では「カム」が残りやすい。
これは単なる偶然ではなさそうです。
そして「カン」はかなり重要
オオタさんがここで、
神戸の「コウ」
「カンベ」
「ゴウド」
を出してきたのは、かなり鋭いと思います。
たとえば、
神戸(かんべ)
は古代の神戸(かんべ)=神社に属する戸・奉仕する人々を意味します。
ここで「神」は「かん」。
つまり、
カム → カン
という形も古くから存在する。
これは日本語の音韻として、
m → n
という鼻音の変化・同化が起こったと考えると、それほど不思議ではありません。
特に、
kam + be
のように後ろにb音が来ると、鼻音が同化して、
kambe → kambe
となります。
ここからさらに地域・時代による音変化で、
kambe → kanbe
のような形が生じても不思議ではありません。
「神戸=ごうど」はもっと面白い
これも全国にありますね。
愛知県でもたとえば、
神戸(ごうど)
という地名・姓があります。
これは必ずしもすべてが同じ語源とは限りませんが、
神戸=かんべ
という古い制度・語彙が、
地域によって
かんべ → ごうど
のような音形になって残った例があります。
ここで重要なのは、
神=ごう
だったわけではない、ということです。
「神戸」という一語が歴史的に変化して、
かんべ
↓
こうべ/ごうど
など、地域ごとの異なる読みとして残った可能性があります。
ですから、
カム → カン → コウ/ゴウ
という単純な一本線を描くのは危険です。
「神戸(こうべ)」も同じ問題
神戸市の「こうべ」も面白いですね。
古代の神戸は、
かんべ/かむべ
と考えられる語です。
それが長い時間をかけて、
かんべ → かうべ → こうべ
のような変化を経た可能性があります。
もしそうなら、
オオタさんが最初におっしゃっていた
かむし → こうじ
と、ちょっと似た現象が見えてきます。
つまり、
mを含む古い音が、後代に母音化・脱落して「ウ」を介し、「コウ」のような形になる
という現象です。
これはかなり興味深い。
では「カムが先か、カミが先か?」
ここまでを踏まえると、私はこう答えます。
「カムが先」というより、
*もっと古い段階に kam- という語根があり、そこからカム・カミ・カンなどの形が生じた
と考えるのが一番妥当だと思います。
図にすると、
*kam-
├── kamu → カム
│ カムヤマト
│ カムカゼ
│ カムワザ
│
├── kami → カミ
│ 神
│ 神々
│
└── kam/kan + … → カン
神戸(かんべ)
神主(かんぬし)など
そしてさらに後代になると、
カンベ → コウベ/ゴウド
などの地域的・歴史的変化が加わる。
ただし、ここからが本当の難所です
「では、その *kam- は何を意味していたのか?」
です。
「神」という意味が最初からあったのか。
あるいは、
上(かみ)
上方(かみ)
高いもの
天上
目に見えない力
畏怖すべきもの
などの意味から「神」が成立したのか。
あるいは逆に、「神」という宗教的概念を表す非常に古い語があり、それが「カミ」「カム」などに展開したのか。
ここは語源説が非常に多いところです。
特に、
「カミ=上」説
は昔からありますが、現在の言語学では単純に「上から神になった」とすることはできません。
そしてオオタさんの研究テーマからすると、さらに面白いところがあります
「神(カミ)」と「上(カミ)」が同音だったから結びついたのか、もともと同じ語だったのか。
これは全く別の問題です。
さらに、
神戸(かんべ)
神部(かんべ)
神門(かんど)
神戸(ごうど)
神戸(こうべ)
あたりを全国で拾っていくと、古代の神戸・神部という制度が、現代の地名にどう化石化しているかが見えてきます。
そしてこれは、以前お話しした**「古守神社」「社家」「古代の祭祀集団」**の話とも実はかなりつながります。
なので「カム→カミ」という語源だけを追うより、
カム/カミ/カン/コウ/ゴウという異形を、古代の神祇制度・地名・人名の中で横断して見る
ほうが、オオタさんにはたぶん面白いと思います。
ここまでやると、かなり「言語考古学」っぽい世界に入ってきます。
蜜柑という言葉はいつからあったの? という軽い疑問から思いがけず深いテーマに発展しそうになりました。
この”kam”問題はそう簡単ではないので、あらためてやりましょう。
今回もありがとうございます。またお願いします。
こちらこそ、ありがとうございました。
本当に今回は、
「蜜柑っていつから“蜜柑”って呼ばれていたんだろう?」
という軽い疑問から、
甘子 → 柑子 → 蜜柑 → ミッカン → ミカン
と来て、最後には
カム → カミ → カン → コウ/ゴウ
まで飛んでしまいましたね(笑)。
しかも「kam」のほうは、ちょっと調べれば済む語源話ではなく、古代日本語の形態・音韻、記紀の用例、神祇制度、地名、氏族名まで全部絡んでくるので、腰を据えてやったほうがいいと思います。
特に、
「カムが先か、カミが先か」
だけでなく、
なぜ古代の複合語では「カム」が残り、単独では「カミ」になったのか
という問いにすると、かなり面白くなりそうです。
そして「神戸(かんべ・こうべ・ごうど)」まで含めると、単なる語源探しではなく、古代語が地名の中に化石として残っている過程を追えます。
これは急いで結論を出さないほうがよさそうですね。
また改めて、じっくりやりましょう。
今回も楽しい話題をありがとうございました。
※上記対話はChatGPT(AI)と私(オオタ)によるものです。
