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金山神社(長戸井町)


名古屋にあるもうひとつの金山神社



長戸井金山神社

読み方かなやま-じんじゃ(ながとい-ちょう)
所在地名古屋市中村区長戸井町1丁目2 地図
創建年不明
旧社格・等級等指定村社・十等級
祭神金山毘古神(かなやまひこのかみ)
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
狭依比売命(さよりひめのみこと)
天照大御神之荒魂(あまてらすおおみかみのあらたま)
アクセス近鉄名古屋線「米野駅」から徒歩約8分
駐車場 なし
その他例祭 10月18日
オススメ度

 名古屋で金山神社というと、金山の地名の由来となった熱田区金山町の金山神社が知られている。中村区にある金山神社はあまり知られていないと思うけどどうだろう。
 神社があるのは江戸時代の米野村だったところだ。少し北の上米野町が上米野の集落で、本郷は下米野とも呼ばれていた。少し東の離れ集落は平池といっていた。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、そのあたりの位置関係が分かる。
 熱田神領の目録に薦野村とあることから「こもの」が「こめの」に転じた可能性が高そうだ。
 金山神社はもともと下米野集落の南のはずれにあった。今昔マップを見てみると鳥居マークが確認できる。向野橋(こうやばし)の少し東、現在はあおなみ線の線路になっているあたりだ。昭和2年に旧国鉄が用地を買収したのに伴い、現在地に移された。



『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。口碑によれば美濃国一宮南宮神社より分霊を請け奉斎したという。『尾張志』に金山社米野村にありと記す。明治5年、村社に列し、大正2年、町内無格社宗像社、西宮社を本社に合祀する。昭和2年、現在の社地に遷座、社名を金山社を金山神社に改称し、昭和14年6月6日指定社となる。鉄工業に霊験高く参詣少なからず」



 いつ誰が勧請したのかは伝わっていないようだ。口碑というのをどこまで信じていいのは分からないのだけど、美濃国一宮の南宮大社(web)から勧請して金山彦(カナヤマヒコ)を祀ったという。
 熱田の金山神社とは直線距離で3キロ近く離れている。熱田金山神社は平安時代前期の承和年間(834-847年)頃に熱田社(熱田神宮/web)の鍛冶職を務める尾崎善光が自宅の屋敷に勧請して祀ったのが始まりとされてる。関係があるかどうかは何とも言えない。
 那古野神社の中にも、半ば独立した格好で金山神社がある。
『中村区の歴史』は、神社の東を流れていた笈瀬川は古川、または中野川とも呼ばれていて、1610年の名古屋城築城の際に石垣の石を運搬するのに使われたと考えられていて、金山社はその石工たちが祀ったのが始まりという説を紹介している。神社境内には笈瀬川から見つかった残石が2つ保存されていることからしても、その可能性は考えられる。
 ただ、それなら記録が残りそうだし、『寛文村々覚書』(1670年頃)に金山社がないことからすると、やはり違うかもしれない。



『寛文村々覚書』の米野村の神社は「八幡 権現 荒神」しか載っていない。
 八幡は若宮八幡社で、権現は熊野社(権現通)のことだろう。
 荒神は大正2年に合祀された西宮社のことなのか違うのか。現在の祭神の中の天照大御神之荒魂というのがそうだろうか。
 もしくは、この荒神が後の金山社のことだろうか。
 荒神信仰というのはかなり複雑で実体がよく分からないのだけど、一説では竈(かまど)の神とされたことから、そこから金山神に転じたとも考えられる。
 初めて金山社が登場するのは『張州府志』(1752年)で、「若宮祠熊野祠金山祠倶在米野村」とあり、荒神が金山に変わったことを示唆しているように思える。
『尾張徇行記』はこの三社についてこう書いている。
「熱田祠官松岡左宮内書上帳ニ、若宮八幡社内二畝熊野権現社内四畝金山金神社内三畝宮田二反一畝共ニ御除地 此三社ハ先大原増太夫支配ナリシカ、宝永二酉年ヨリ松岡左宮内支配ニナレリ」
 若宮(八幡)、熊野権現、荒神(金山?)はいずれも江戸時代以前から米野村にあったと考えてよさそうだ。
 ただ、『尾張志』(1844年)には「若宮八幡社 くまのの社 金山社 サグジノ社 辨天社」とあり、荒神=サグジノ=西宮だとすると、荒神=金山という図式は成り立たなくなる。
 西宮社は中川区月島の金刀比羅社地図)の中にもあって、そこでも天照大神荒魂を祀っていたといい、創建は1500年代前半と伝わっている。
 時代の変遷に伴って祭神が変わっていったとも考えられるのだけど、そのあたりは判断がつかないので保留とするしかない。
 気になったのは、平池にある白山社(太閤)が『尾張志』にも載っていないことだ。ここは米野村の支村の平池だったはずだけど、どうして載らなかったのだろう。



 金山彦(カナヤマヒコ)とはどういう神かということなどは金山神社(金山)のページに少し書いた。
 南宮大社は非常に難しい神社なので、ここでは書ききれない。以前、ブログに書いたことがあるけど、よく分からないというのが結論だった。
 南宮大社は謎が多くて魅力的な神社(ブログ記事)
 鉄鋼や金属加工の企業や職人などが信仰する神ではあるけど、その実体はもっと複雑で捉えがたい。
 
トヨタ自動車が創業時に建てた豊興神社も祭神を金山彦としているくらいだから、幅広く信仰されている神といえそうだ。



 神社とは関係がないのだけど、神社の南にある向野橋は、鉄道と名古屋駅のビル群を一緒に撮ることができるスポットとして個人的にオススメしたい。西向きの夕焼け鉄道風景も撮影もできるし、車は通行できない橋なので三脚を立てた夜景撮影も安心だ。
 向野橋を名古屋新名所に推奨したい(ブログ記事)
 金山神社を訪れた際は、向野橋からの眺めも楽しんでいってください。




追記 2021.6.12



 江戸時代後期の寛政年間(1789-1801年)の米野村図に、”金山荒神”と”西宮神”が書かれているということを教えていただいた(ありがとうございます)。
 ということは、荒神が金山に転じたという推測は当たっていたということになりそうで、西宮神は別の場所で祀られていたということのようだ。
『尾張志』がいうサグジノが西宮神(さいぐうじん)のことだろう。
 それが祀られたのは江戸時代に入ってからではないかと思う。




作成日 2017.7.22(最終更新日 2021.6.12)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中村区にある金山神社

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