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外土居神社


大乗教の中にあってその関係性は不明



外土居神社

読み方そとどい-じんじゃ
所在地名古屋市熱田区外土居町3-4 地図
創建年1927年(昭和2年)
旧社格・等級等十五等級
祭神熱田皇大神(あつたすめおおかみ)
アクセスJR/地下鉄/名鉄「金山駅」から徒歩約16分
地下鉄名城線「西高蔵駅」から徒歩約14分
駐車場 なし
その他例祭 10月10日
オススメ度

 神社があるはずの場所に到着すると、そこは奇妙で巨大な寺だった。大乗教総本山とある。聞いたことがない。
 しかし、地図上ではここのはずと、寺の敷地に入って探すも見つからない。いったん外に出て周囲を回って西へ進むと、ようやく目的の神社が見つかった。地図上にはない西側に神社入り口があった。
 それにしてもここは寺の敷地内ではないのか。ただ、寺から直接行けないということを考えると、寺のものとは言い切れない。



『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「昭和二年十月、町内の守護神として熱田神宮より御分霊を請け創祀する。昭和二十年五月、空襲により災害あり、昭和42年4月、神社本庁の承認をうく、昭和51年8月、現社地に遷座する」
 昭和2年創建の新しい神社ということだ。ここは熱田区だし、熱田神宮web)からも近いから、熱田から勧請して創建したというのは納得がいく。
 しかし、ちょっと分からないのは、昭和2年に創建して神社本庁の承認を得られたのが昭和42年ということだ。それまで申請しなかっただけなのか、何らかの理由で認可が下りなかったのか。
 昭和51年(1976年)に現在地に移ったというのは何があったのか。もともとどこにあったのだろう。
 外土居町は南北350メートル、東西250メートルほどの狭い町だ。町内の神社として建てて最初から外土居神社という名前だったのなら、この時期に動かした理由は何だったのか。
 かつて神社西の大津通は市電の熱田線が走っていた。最後に残った沢上町 – 内田橋間と金山橋 – 沢上町間が廃止されたのが昭和49年(1974年)だから、これは関係がないのか。
 現在地は大乗教という寺の敷地内といっていいと思う。どういういきさつでここに移されたかが分からない。
 この大乗教(web)というのを調べてみると、熱田に大乗教の教会が建てられたのは戦後の1948年(昭和23年)という(1914年/大正3年設立の仏教感化救済会に始まる)。
 昭和51年は聖仏舎利宝塔が完成した年に当たる。名鉄やJR東海道本線の金山 – 熱田間を利用している人なら、線路沿いにあるインド風の尖塔を見たことがあるのではないだろうか。あれがそうだ。
 あるいはこの聖仏舎利宝塔の完成と外土居神社の遷座は何か関係があるのかもしれない。



 外土居町は昭和14年(1939年)に熱田東町の一部より成立した。地名自体は古くからあったようだ。
 外土居は沢上城(城畠城)の土居から来ているという説がある。
 土居というのは城や砦の防御のために作った盛り土のことで、外土居というのだから外側の土居がこの辺りにあったのが地名の由来になるだろうか。
 1181年頃、東国の源頼朝に対抗すべく平重衡や平維盛が西から迫ってきたため、源氏の兵士たちが防御用の砦として築いたのが沢上城だという。
 これは源行家が急ごしらえした熱田村砦のことか別なのか。墨俣川の戦いで敗れてこちらまで逃げてきた行家は、平家を迎え撃つべく熱田あたりに砦を築いたとされる。
 しかし、それはあっという間に打ち破られ、行家は更に三河の矢作川まで逃げていくことになる(そのあたりは沢上神明社のページに書いた)。
 そんな急場しのぎで築かれた砦の土居が地名として定着するかどうかという疑問はある。時代としては平安時代末のことだ。
 土居という地名は全国にいくつかある。秀吉が京都に作った御土居(おどい)はよく知られている。



 熱田大神を祀る新しい神社ということは分かったものの、大乗教との関係が分からずモヤモヤ感が残った。だからといって大乗教にそのあたりの事情を訊ねる気にはなれない。
 境内は木々が生い茂っていて、木漏れ日が作り出す光の影のコントラストが印象に残った。
 不思議な空気感を持つ空間で、妖精というかもののけというか、何かの気配が漂っているように感じられた。いいものとも悪いものとも決めかねる何かがいる。




作成日 2017.8.13(最終更新日 2019.9.4)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

外土居神社は木漏れ日の風景が印象的だった

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