瑞穂区南西部の惣作町(そうさくちょう)にある天満宮。 天満宮といっても写真を見ても分かる通り小さなもので、菅原道真を祀っているというけど、もともとは村にある小さな天神だったかもしれない。
ここはかつて本井戸田村と呼ばれたところだ。 現在の神社がある場所は村の集落の北端に当たる。 井戸田は「いどた」と濁る。 奈良、平安時代は井戸田荘という荘園があり、鎌倉時代以降、井戸田村ができて、一部が北井戸田村として独立したため元の村を本井戸田村と呼ぶようになった。 津田正生は『尾張国地名考』の中で井戸田についてこう書いている。 「本井戸田村と北井戸田村あり 北井戸田を新開の地といふ 戸は所の仮字也 さて龍泉寺の門前に清水在り 此故に呼か 詳ならず」 井戸田の戸は所という意味で、龍泉寺(りょうせんじ)の門前に井戸があることから井戸田の地名が生まれたのかもしれないけどはっきりしないとする。 龍泉寺(地図)は奈良時代に行基が開山した真言宗薬師寺が元になっている古刹だから、まったくない話ではないだろうけど、井戸田荘という古い荘園名があることからして、地名としては更にさかのぼる可能性がある。 龍泉寺の清水は亀井水(きせいすい)と呼ばれ、名水と名高く、源頼朝は井戸田の生まれで、亀井水を産湯に使ったという伝説がある。 亀井というのは、津賀田神社(地図)の宮司、亀井忠太夫の屋敷が近くにあったことからそう呼ばれるようになったとされる。 いずれにしても、ここは瑞穂台地の南端近くで、台地の縁は湧き水が豊富に出るので井戸もたくさんあって、そこから来ていると考えていいのではないかと思う。
『尾張志』(1844年)、『尾張名所図会』(1844年)、『尾張徇行記』(1822年)、『寛文村々覚書』(1670年頃)にこの神社は出ていない。 井戸田村にある神社として紹介されているのは、八幡社もしくは若宮八幡と呼ばれた津賀田神社と、濱の神明(地図)の二社だけだ。 江戸時代の本井戸田村の絵図にも描かれていない。 天満宮は明治以降に創建されたものか、もしくは神社とは呼べない程の祠だっただろうか。 神社本庁への登録はなく、それ以外でもこれといった情報は得られなかった。『瑞穂区の歴史』も何も書いていない。 北川天満宮の北川がどこから来ているのかも調べがつかなかった。
神社がある惣作町の惣作(そうさく)は、耕作者がいなくなった田畑を共同で耕作することを意味する言葉だ。神社がもともとこの場所に創建されたとすれば、それらの村人たちが建てた社だったかもしれない。 天神信仰は平安時代以降、菅原道真に対する信仰とあわさったのだけど、本来は天の神に対する素朴な信仰心から発したものだ。自然崇拝に近いようなもので、農民であれば五穀豊穣を願っただろうし、それが天神社という形で社になったのは自然なことだ。そこに具体的な神の名前はなかっただろう。 道真さんを祀る天満宮は天満宮として、天神は天神社として残って欲しかったと個人的には思うのだけど。
作成日 2017.9.18(最終更新日 2019.3.27)
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