社号標も額もなく、外観からは何神社か分からなかったのだけど、『瑞穂区の歴史』で山神社ということが分かった。 入り口の社号標らしい石柱には社名が彫ってあっただろうか。今は読み取れない。 読み方は「やまがみ-しゃ」なのか、「やま-じんじゃ」なのか。 山神社の祭神は通常、大山祇(オオヤマツミ)なので、おそらくここもそうだろう。 いつ誰が建てたかなど、詳しいことは何も分からない。
すぐ北には天聖寺(地図)というお寺があり、170メートルほど西は津賀田神社(地図)がある。 位置関係からするとどちらかの関係社とも思えるのだけど、山神社となると無関係だろうか。 天聖寺(てんしょうじ)は熱田の園通寺(web)末寺の曹洞宗の寺だ。 江戸時代中期の寛永元年(1704年)に、圓通寺首座だった然了存廊和尚が観音堂を建立したことに始まるとされる。 享保2年(1717年)、圓通寺10世・密山以傳大和尚を開山として亀獄山瑞巌寺を開いた。 寛政9年(1797年)に寺格が上がったことによって寺名を天聖寺と改めた。 『瑞穂区の歴史』は、圓通寺十四世の活水昇竜禅師が開山したと書いている。活水昇竜が園通寺を継いだのは寛延2年(1749年)だ。
境内の本社横に石碑があり、「主山大権現」と彫られているように見える。「立山大権現」だろうか。 立山というと富山県にある飛騨山脈(北アルプス)の北部、立山連峰の主峰だ。雄山、大汝山、富士ノ折立など、3,000メートル級の嶺が並ぶ。 立山信仰は名古屋ではあまり流行らなかったようで、立山信仰の名残を示すようなものもほとんどないのではないだろうか。
津賀他地区は山神を祀るような山地ではないものの、多くの古墳や塚などがあったことが知られている。大部分は失われてしまい、津賀田古墳などがわずかに残っている。 津賀田古墳は、墳丘の直径12メートル、高さ3メートルの円墳で、発掘された須恵器などから築造は6世紀前半と考えられている。 江戸時代までは鎧塚、冑塚、大塚などがあったとされ、絵図にも描かれている。そのうち、津賀田古墳は剣塚に当たるのではないかという説もある。 姫塚、為丸塚などが現存している。 これだけ塚(墓)の多い土地柄ということを考えると、この神社はもともとどこかの塚に祀られたものとも考えられる。 山神社とはいっているものの、本来は全然別の神社だったかもしれない。 それにしても、一応、どこかに山神社と分かるようにしておいてほしいとは思う。
作成日 2017.9.26(最終更新日 2019.3.29)
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