戸田五社のうち、五之割の氏神に当たる神明社。 他の4社も八幡社、天神社、鈴宮社、白山社としてそれぞれ現存している。 一之割から五之割は南北縦に割られていた。今昔マップ(1888-1898年)を見ると、神社5社は江戸時代から今の場所にあったと考えてよさそうだ。 集落は戸田川沿いの東西にあって、かなり戸数の多い大きな村だった。北の春田村と南の供米田村は境界が分からないほど隣接していたこともマップから見てとれる。
戸田5社の創建について詳しいことは伝わっていない。一之割の八幡は鎌倉時代創建という話があるものの、はっきりしない。 『寛文村々覚書』(1670年頃)に5社が載っているから、少なくとも創建はそれ以前にさかのぼる。 ただ、除地ではなく年貢地になっている理由はよく分からない。 『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。 「創建は明かではない。『尾張志』に神明ノ社戸田村にありと、字屋敷の氏神として尊崇あつく、明治5年2月、村社列格した。大正9年、拝殿竣工なる。昭和20年供進社の認定あり」 字屋敷というからには誰かの屋敷があったのだろうけど、それが誰のものだったかは調べがつかなかった。
からくり人形を持つ山車を引き回す戸田まつりは、毎年10月の第一土・日に行われている。 五之割・神明社のからくり人形は、綾わたりだ。 綾渡り人形と麾振り人形から成っており、一体が麾を振り、もう一体が綾を渡って最後に巻物を引き出す。 4年に一度、5つの神社の山車が勢揃いする本祭が行われる。これは2002年の300年祭を機に始まったもので、次回は2022年の予定となっている。
作成日 2017.10.9(最終更新日 2019.6.23)
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