旧東海道沿いに点在した寺のひとつ、法泉寺のすぐ外にある小さな秋葉社。この位置関係からすると法泉寺の鎮守だったのではないかと思うのだけど、決めつけることはできない。 『南区の神社を巡る』は階段下の石柱にある「文久三年亥十一月」を創建年としている。文久3年は江戸時代末の1863年に当たる。この年に町内の安全を願って創建したとしているので、それが本当であれば法泉寺とは直接関係はないということになる。 ただ、法泉寺は『尾張志』(1844年)に熱田圓通寺(web)の末とあり、圓通寺は秋葉山三尺坊が修業にやって来たとされる秋葉の寺なので、その末寺の法泉寺が秋葉を祀ったという可能性はあるのではないかと思う。石柱にある文久三年が創建年とは限らない。
法泉寺へと向かう道は急な坂道で、秋葉神社はその坂の途中にある。 このあたりは笠寺台地の北西の縁で、江戸時代前期まではすぐ北と西は年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる遠浅の海だった。 北の瑞穂台地とは海で隔てられていて、北から見ると松が生い茂る島のように見えたことから松巨島(まつこしま)と呼ばれていた。 法泉寺は井戸田(瑞穂区)にあった行基が開いたとされる薬師寺がルーツとなっている。 弘法大師がこの地を巡っていたときに立ち寄ったことから真言宗の道場となった。 その後、廃寺となり、浜海道(南区)に再興され、そのとき龍雲山法泉寺と号をあらためた。 現在の場所に移されたのは江戸時代前期の1642年のことだ。 江戸時代後期に曹洞宗に改宗した。 本尊の薬師如来や日光菩薩、月光菩薩は弘法大師の作と伝わる。
法泉寺の南を通っている道が旧東海道だ。旅人の中には法泉寺に立ち寄って参拝していったという人もいただろう。空海作と伝わる仏像があることを知っていればひと目拝んでおこうと思ったかもしれない。普段でも見られるなら私でも見てみたい(見られるかどうかは未確認)。 秋葉社がいつからあったかは分からないけど、たとえ1863年創建としても150年以上の歳月が流れている。 道ばたの小さな社でしかなくても、見かけたら拝んでいっても罰は当たらない。
作成日 2017.12.6(最終更新日 2019.8.13)
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