少し東を南北に通っていた旧木曽街道からやや西に入ったところにある小さな神社。北には黒川が流れている。 江戸時代のここは何村になるだろう。北の東志賀村と南の杉村の間で、明治になってもまだ田んぼが広がっていたところだ。今昔マップを見ると、その頃の様子が見てとれる。 大正時代になると旧木曽街道沿いを中心に民家が増え、昭和初期にはこのあたりも住宅地となって田んぼは姿を消していった。
この神社についての情報がまったく得られず、いつ誰が建てたのかは分からない。 白龍を祀る神社は多いけど、夫婦の白龍を祀っているのは名古屋ではここだけじゃないだろうか。 夫婦は「ふうふ」と読むのか、「めおと」と読ませるのか。 向かって左の社は一般的な神社の社で、向かって右には家庭用の三社神棚がある。神棚の上に秋葉社・天照皇大神宮・津島社と書かれた木札がかかっている。神棚についてはもともとどこかの家で祀っていたものをここに移した可能性が高い。 左の社で夫婦白龍を祀っているのだろう。 それにしても夫婦の龍神を祀るいわれがやはり気になるところだ。 もしかすると旧木曽街道に関係があるかもしれない。街道沿いの木で龍神を祀ったのが始まりとなれば納得がいく。もしくは、どこかの家の庭で龍神を祀っていたか。 夫婦竜神ということは男女の道祖神のようなものだっただろうか。だとすれば旅人を守るために街道沿いにあったと考えるのが自然と思えるけどどうだろう。
結局、どういういきさつで建てられた神社かは分からなかった。 町内の方が交代で掃除などをされているとのことなので、ご神事のときなどに当たれば何か話を伺えるかもしれない。
作成日 2017.12.12(最終更新日 2019.1.10)
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