薬師堂に付属する社だろうか ![]() | |
読み方 | しょうしゃ(まえだにしまち) |
所在地 | 名古屋市中川区前田西町1丁目 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 不明 |
祭神 | 不明 |
アクセス | 近鉄名古屋線「伏屋駅」から徒歩約7分 |
駐車場 | なし |
祭礼・その他 | 不明 |
オススメ度 | * |
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】) 前田西町の不明社は秋葉社なのか |
前田西町1丁目にある小さな社。
どんな神を祀る何という名前の社かは分からない。
すぐ北に薬師堂があり、行基作と伝わる薬師如来像があるという。
薬師堂に付随する社なのか違うのか。
秋葉社という話があるけど定かではない。
(追記)
やはり秋葉社のようだ。それと、川前町の白山社から分社して祀っているとのこと。
社がある前田西町1丁目は、江戸時代の村でいうと前田村なのだと思う。助光村との境目あたりに位置している。
すぐ西には称円寺、少し北には前田家の菩提寺・前田速念寺がある。どちらかの関係社の可能性もなくはない。
『寛文村々覚書』(1670年頃)の前田村の項に、「薬師堂 地内 年貢地 伏屋村 南蔵院」とある。
これが今の前田西町の薬師堂のことだと思う。
伏屋村の南蔵院というのは今の宝蔵院(地図)のことで、行基の開基とされる古刹だ。南蔵院といっていたものを宝永7年(1710年)、今の寺号に改めた。龍雲山不動寺という。
本尊は行基作とされる木仏立像の地蔵菩薩。
薬師堂は元々、圓盛寺(地図)の西にあった。今の長須賀小学校の北あたりだ。
庄内川が氾濫したとき流されて、200メートルほど南の現在地に流れ着いたのでここに建て直したのだった。
前田西町は、昭和59年に2・3丁目が富田町大字助光の一部より成立、 昭和60年に1丁目が富田町大字前田の一部より成立した。
同年1-3丁目に大蟷螂町・富田町大字伏屋・富田町大字前田の各一部を編入。
町名は、ここが富田町大字前田の庄内川以西にあったことに由来する。
『神鳳鈔(じんぽうしょう)』にある尾張国前田とはこの地のことをいう。尾張国における伊勢の神宮(web)領だったということだ。
こういった小さな社について分かることは少ない。その土地に住む人でも普段は意識もしないくらいだろうけど、名もなき小さな社にも歴史はある。こちらは知らなくても社はそれを知っている。
作成日 2017.12.31(最終更新日 2025.8.16)