前田西町1丁目にある小さな社。 どんな神を祀る何という名前の社かは分からない。 すぐ北に薬師堂があり、行基作と伝わる薬師如来像があるという。 薬師堂に付随する社なのか違うのか。 秋葉社という話があるけど定かではない。
(追記) やはり秋葉社のようだ。それと、川前町の白山社から分社して祀っているとのこと。
社がある前田西町1丁目は、江戸時代の村でいうと前田村なのだと思う。助光村との境目あたりに位置している。 すぐ西には称円寺、少し北には前田家の菩提寺・前田速念寺がある。どちらかの関係社の可能性もなくはない。 『寛文村々覚書』(1670年頃)の前田村の項に、「薬師堂 地内 年貢地 伏屋村 南蔵院」とある。 これが今の前田西町の薬師堂のことだと思う。 伏屋村の南蔵院というのは今の宝蔵院(地図)のことで、行基の開基とされる古刹だ。南蔵院といっていたものを宝永7年(1710年)、今の寺号に改めた。龍雲山不動寺という。 本尊は行基作とされる木仏立像の地蔵菩薩。 薬師堂は元々、圓盛寺(地図)の西にあった。今の長須賀小学校の北あたりだ。 庄内川が氾濫したとき流されて、200メートルほど南の現在地に流れ着いたのでここに建て直したのだった。
前田西町は、昭和59年に2・3丁目が富田町大字助光の一部より成立、 昭和60年に1丁目が富田町大字前田の一部より成立した。 同年1-3丁目に大蟷螂町・富田町大字伏屋・富田町大字前田の各一部を編入。 町名は、ここが富田町大字前田の庄内川以西にあったことに由来する。 『神鳳鈔(じんぽうしょう)』にある尾張国前田とはこの地のことをいう。尾張国における伊勢の神宮(web)領だったということだ。
こういった小さな社について分かることは少ない。その土地に住む人でも普段は意識もしないくらいだろうけど、名もなき小さな社にも歴史はある。こちらは知らなくても社はそれを知っている。
作成日 2017.12.31(最終更新日 2019.7.14)
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