笠寺にある秋葉神社の中で、昭和の戦時中に建てられたグループの秋葉神社のひとつのようだ。 『南区の神社を巡る』によると、昭和初期の満州事変(1931年/昭和6年)頃に建てられたのだろうとしている。 戦災で焼失して、戦後の昭和26年頃に再建されたのではないかとも書く。 鳥居や幟立てには昭和26年1月と刻まれているので、再建はその年だろう。 近くにある七所神社(地図)の境外社というのだけど、本当だろうか。 七所神社には、明治の神仏分離令を受けて笠松町にあった市場の秋葉神社と新町の秋葉神社が移されている。昭和初期にあえて七所神社の境外社という扱いで柵下に秋葉神社を創建する必然があったかどうか。 ただ、柵下の秋葉神社の手水舎の鉢は、七所神社から寄贈されたもので、「寛政七年乙卯 笠寺村」とある(寛政七年は1795年)。 このことからして七所神社とつながりがあるのはそうなのだろうけど、創建時に七所神社の境外社という扱いだったかどうかは分からない。
柵下町(さくしたちょう)は昭和27年に笠寺町の一部より成立した。 町名は字名から来ているというのだけど、柵下の由来は調べがつかなかった。すぐ北が松城町で、これは戸部城の別名の松本城から来ているから、その松本城にあった柵の下という意味の可能性が高そうだ。松本城は10メートルを超える断崖の端に建っていたというから、柵下の地名はふさわしい。
この柵下の秋葉神社に限らず、笠松地区では各町内で毎年12月16日に秋葉祭りを行っているようだ。氏子総代などが静岡県浜松市の秋葉神社(web)に代参して御札を受けて、それを町内に配っているのだとか。 12月31日には大祓式(おこもり)、1月16日には秋葉祭、2月1日に初午祭などが行われているという。 お世話をして守っていくのは大変ではあるだろうけど、ひとつの小さな神社が地域をつなぐ役目を担っていると考えると、その存在は意外と大きい。
作成日 2018.3.10(最終更新日 2019.8.24)
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